20世紀日本人名事典 「日高昌克」の解説
日高 昌克
ヒダカ ショウコク
明治〜昭和期の日本画家,医師 美術工芸学院教授。
- 生年
- 明治14(1881)年8月14日
- 没年
- 昭和36(1961)年7月20日
- 出生地
- 和歌山県日高郡御坊村
- 旧姓(旧名)
- 木村
- 学歴〔年〕
- 京都府立医学専門学校〔明治38年〕卒
- 経歴
- 在学中から水彩画を嗜む。明治38年に同校を卒業ののち耳鼻科医となり、和歌山病院耳鼻科長を経て44年和歌山市に耳鼻科医院を開業。大正3年より日本画家阪井芳和泉に入門し、四条派の画風を学ぶとともに、独自に南画や北宋画・浮世絵などを研究した。橋本関雪や富岡鉄斎の画に傾倒し、入門を願うが果たせず、8年には知人を介して土田麦僊や入江波光・榊原紫峰ら著名な日本画家の知遇を得た。10年黒島社を興し、公募展を開催。その傍ら帝展などにも出展し、昭和2年の「風景」で国画創作協会第6回展に初入選、同協会の解散後は新樹社や南紀美術会などで活動した。やがて水墨画を描くようになり、11年頃から日高昌克を名乗る。13年医院を長男に譲り、以後は画業に専念した。14年美術工芸学院教授。戦後は南海美術院を結成し、個展を中心に画作を続け、32年からはアメリカのフィラデルフィアやサンフランシスコなどでも個展を開催、好評を博した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報