旧中城御殿跡(読み)きゆうなかぐしくうどうんあと

日本歴史地名大系 「旧中城御殿跡」の解説

旧中城御殿跡
きゆうなかぐしくうどうんあと

[現在地名]那覇市首里真和志町二丁目

首里城外西方にあった世子殿。一九世紀後半に龍潭りゆうたんの北側に移されるまで、国王の世子(東宮)が居住する世子府であった。「球陽」尚豊王一九年(一六三九)条によれば、世子殿は崇禎年間(一六二八―四四)尚文(尚豊の次男)が世子であった時期に創建された。首里古地図では綾門大あいじよーうふ道の北側に接し、南は安国あんこく寺と御客屋うちやくや東西の道を挟んで東は大美うふんみ御殿、西は大飩川うどうにがー真壁まかんノあむしられ・屋宜掟親雲上の屋敷、北は金武按司屋敷に接した。大美御殿の約三倍の敷地は石垣に囲まれ、敷地内部も大美御殿の北側の石垣の延長線上にある石垣によって北と南に区画され、西寄りに北と南をつなぐ通路がある。北には四棟の建物が並ぶ。北の三倍の規模がある南には中央部にロの字形に配置された建物群を中心として一一棟の建物がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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