旧吉野川(読み)きゆうよしのがわ

日本歴史地名大系 「旧吉野川」の解説

旧吉野川
きゆうよしのがわ

上板かみいた佐藤塚さとうづかで吉野川から分岐し、途中宮川内谷みやごうちだに(流路延長一八・九八キロ)大谷おおたに(同延長一一・八キロ)などを合流して鳴門市南部で紀伊水道に注ぐ吉野川の分流。流路延長二四・八キロ、流域面積二四五・六平方キロの一級河川北島きたじま高房三ッ合たかぼうみつあい(三合)今切いまぎれ(同延長一一・六五キロ、流域面積三二・一平方キロ)を分岐している。旧吉野川と今切川はなべ(同延長一・三六キロ)、今切川と吉野川は榎瀬江湖えのきぜえご(同延長三・一キロ)内陸水路で、また粟津あわづ港がある河口部と小鳴門海峡の間は撫養むや(同延長四・一五キロ)で結ばれている。

徳島(吉野川)平野汀線は、約六千四〇〇年前には現在のJR高徳線付近まで入り込んでいたとされ、ほぼ現在の海岸線となるのは約二千年前と考えられている。吉野川は下流部で分派し、それが乱流・蛇行を繰返し沖積平野としての徳島平野を形成した。本来、旧吉野川は吉野川の本流筋であったが、明治四四年(一九一一)から昭和二年(一九二七)にかけて行われた吉野川第一期改修工事により、第十だいじゆう堰下流の別宮べつく川が本流に付替えられたため、第十堰から北東流するかつての本流筋は旧吉野川と称されるようになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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