早川厳島神社(読み)そうがわいつくしまじんじや

日本歴史地名大系 「早川厳島神社」の解説

早川厳島神社
そうがわいつくしまじんじや

[現在地名]甲佐町早川

小市郎こいちろう森にあり、祭神は市杵島媛命。旧郷社。「拾集昔語」によれば、宝亀八年(七七七)諸国飢饉疫災防止のため、勅命により関越前守という者が芸州より勧請したと伝える。宝治二年(一二四八)阿蘇大宮司惟国が、厳島神社と熊野坐神社・菅原神社を合祀し、早川三社宮とし、早川城主の弟、渡辺二郎秀清を神職に任じた。早川三社宮は早川城主の七半済三〇〇余町の惣産土神として崇敬され、寛文五年(一六六五)に現在地に移転した。上殿に厳島、中殿に熊野、下殿に天満宮を祀る。厳島神社の神宮寺天台宗阿弥陀寺養寿ようじゆ院で、阿弥陀寺は下早川しもそうがわ村の笈の島おいのしまに、養寿院は北早川村にあったがともに廃寺となった(甲佐町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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