昌光律寺(読み)しようこうりつじ

日本歴史地名大系 「昌光律寺」の解説

昌光律寺
しようこうりつじ

[現在地名]岡崎市伊賀町 南郷中

足助あすけ街道が伊賀いが川を渡る伊賀橋の南に松の木の並ぶ山道を経て山門を東に望む。大恩山と号し、浄土宗。江戸増上ぞうじよう寺の末寺であった。本尊阿弥陀如来。寺伝によると、開祖を徳巌という。宝暦二年(一七五二)この地に一宇を結び大槎庵とし、同一三年伊賀八幡宮神主の請により同所松林しようりん院に移り、明和二年(一七六五)大槎庵を改築して昌光律寺を開創という。

第七代万空は詩文をもって月僊・菅茶山・頼山陽・岡本花亭らと交わる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典 日本の地域遺産 「昌光律寺」の解説

昌光律寺

(愛知県岡崎市伊賀町字南郷中44-1)
ふるさとの森指定の地域遺産。
面積5,800【m2

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報