明暗寺跡(読み)みようあんじあと

日本歴史地名大系 「明暗寺跡」の解説

明暗寺跡
みようあんじあと

[現在地名]下田村中野原 本地

五十嵐いからし川中流左岸、国道二八九号西の字本地ほんちにある。水田中に方形の旧寺院墓地があり、開基文仲以下歴代の墓石が残る。秀峰山と号し、普化宗。普化宗は虚無僧諸派とよばれ、武士以外の入宗を許さなかった。寛延三年(一七五〇)の村松領各宗由緒帳(北方文化博物館蔵)に「御軍用之節騎馬五騎屹度御先手差出し御軍役為相勤可申候此外若遠国御尋者有之節被仰付次第門弟共指出相尋可申候」とみえ、軍役奉公をその任としていた。


明暗寺跡
みようあんじあと

[現在地名]玉穂町乙黒

乙黒おとぐろにあった普化宗の寺。現在豊積とよづみ橋たもとの交差点近くに昭和六〇年(一九八五)建立の「明暗寺跡」の石碑が建つ。「甲斐国志」によれば、万治三年(一六六〇)中興は心岳玖伝で、除地は六畝歩、山号は来機山という。普化宗総本山の鈴法れいほう(現東京都青梅市)末寺で、山梨県では唯一の虚無僧寺であった。全国行脚の虚無僧たちが立寄ったと伝えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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