明源寺(読み)みようげんじ

日本歴史地名大系 「明源寺」の解説

明源寺
みようげんじ

[現在地名]山形市柏倉

七森山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。寺伝によれば、治承二年(一一七八)源頼朝の重臣安達藤九郎盛長が山寺立石やまでらりつしやく寺で源氏再興を祈り、毘沙門天夢想の告げにより、当地に一宇を建て毘沙門山真妙しんみよう寺と称した。真妙寺はのちに本沢もとさわに移り、境内には毘沙門堂と守護寺柏蔵かしわぐら院が残ったという。寛永年間(一六二四―四四)浄土真宗の僧明源が当寺に住し、念仏を唱え教化した。


明源寺
みようげんじ

[現在地名]宇和島市本町追手一丁目

慈光山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。寺の背後辰野たつの川が流れる。「宇和旧記」には、慈光山明源教寺とあり、旧名を安楽寺といったという。同書によれば、開山釈順信は三河国の人で、京都に出て本願寺で修行し、天正年間(一五七三―九二)九州を歴遊し、豊後国海部郡佐賀関に一寺を建てた。ある夜、夢に現れた端厳聖僧のことばに従って高さ二尺五寸の阿弥陀如来像を得、明源寺を建てて安置した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の明源寺の言及

【大曾禰氏】より

…名字の地は後院領出羽国大曾禰荘といわれる。大曾禰荘内に位置する山形市柏倉の明源寺には,安達盛長の創建という毘沙門堂が現存し,また毘沙門山真妙寺も代々安達一門僧が住持であったという。おそらく頼朝が当初任命した大曾禰荘地頭は盛長であり,時長はその譲渡をうけてから大曾禰氏を名のったのであろう。…

※「明源寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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