日本歴史地名大系 「星川庄」の解説 星川庄ほしかわのしよう 鳥取県:西伯郡会見町星川庄古代の会見郡星川郷(和名抄)の郷域に成立したと考えられる庄園で、法勝寺(ほつしようじ)川支流小松谷(こまつだに)川中流域、現在の会見町市山(いちやま)・宮前(みやまえ)・浅井(あさい)を中心とする一帯に比定される。星河とも記した。京都上賀茂社(賀茂別雷神社)領。寿永三年(一一八四)四月二四日の源頼朝下文写(賀茂別雷神社文書)に「伯耆国 星河庄」とみえる。この下文は院庁下文を受けた頼朝が治承・寿永の内乱における武士の狼藉を停止したものであるが、検討の余地がある。 星川庄ほしかわのしよう 奈良県:天理市二階堂地区六条村星川庄興福寺雑役免田。延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳の山辺郡に「星川庄十一町半 公田已」とあり、公田の雑役免のみからなる荘園。田地の条里(括弧内は坪数)は、七条一里(四)・二里(八)、九条一里(六)・二里(五)で、星川庄は現南六条(みなみろくじよう)町(七条一里・二里)と二階堂上之庄(にかいどうかみのしよう)町・荒蒔(あらまき)町(九条一里・二里)の二地域に比定される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報