日本歴史地名大系 「星川村」の解説 星川村ほしかわむら 三重県:桑名市星川村[現在地名]桑名市星川・中山(なかやま)町・松(まつ)ノ木(き)・野田(のだ)・大山田(おおやまだ)・里(さと)町現桑名市の西部にあり、森忠(もりただ)村の東に位置する。員弁(いなべ)郡の東端にあり、東は桑名郡に接し、南は員弁川に臨む。中央を南北に嘉例(かれ)川が流れて員弁川に注ぐ。南部を濃州(員弁)街道が東西に通る。大和国山辺(やまのべ)郡星川(現天理市)の住民が移ってきたので地名となったとされている(員弁雑志)。 星川村ほしかわむら 三重県:名張市星川村[現在地名]名張市赤目(あかめ)町星川檀(だん)村の南東に位置する。集落は上(うえ)山麓の八の字形の二つの谷に沿って立地する。役行者が檀村で雨乞修法中、東天に星が雨のごとく下ったので、地名が起こったという伝説がある。永暦二年(一一六一)二月の伊賀国黒田庄出作注進状(村井敬義氏本東大寺文書)の中村条に「友重一段号石垣名星川」とある。この友重は友重(ともしげ)名として定着、東大寺学生供米料備進の名にあてられたが正応四年(一二九一)には供米未進により没収されている(同年八月二四日「黒田新庄学生供米収納使定舜免除状」東大寺文書)。 星川村ほしかわむら 和歌山県:伊都郡かつらぎ町星川村[現在地名]かつらぎ町星川渋田(しぶた)村の南に位置する。高野山領六箇七(ろつかしち)郷のうち四村(よむら)に属した。応永三二年(一四二五)五月二六日の天野社一切経会段米納日記(又続宝簡集)に、六箇七郷の七郷分段米二石三斗余のうちに星川村分として一斗七升を記す。「続風土記」には星川・星山(ほしやま)両村は四村の本村とある。江戸時代は高野山学侶領に属し、同書によると村高は一〇〇石余、家数二九、人数一三八。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by