星川郷
ほしかわごう
「和名抄」諸本とも訓を欠く。「新撰姓氏録」に武内宿禰の後裔として記される星川臣があり、同氏の居住地に関係していたと考えられる。なお隣接して同じく武内宿禰を祖とする紀氏一族巨勢氏の居住地と思われる巨勢郷があった。天平一四年(七四二)一二月三〇日の優婆塞貢進解(正倉院文書)にみえる「因幡国高草郡古海郷戸主星川君虫麿戸口」の星川五百村(三六歳)は当地の星川氏と関係のあるものか。
星川郷
ほしかわごう
「和名抄」刊本に「保之加波」と訓ずる。「大和志」は「已廃存吐山村」として現山辺郡都
村大字吐山に比定するが、延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳にみえる山辺郡の星川庄の所在が七条一―二里、九条一―二里で、現天理市南六条町・二階堂上之庄町・荒蒔町に比定されるので、星川郷もこの付近と考えられる。
星川郷
ほしかわごう
「和名抄」東急本は「保之加波」と訓を付し、高山寺本は訓を欠く。「風土記稿」は、都筑郡の上星川村と橘樹郡の下星川村(現横浜市保土ヶ谷区上星川、星川一―三丁目など)が、ともに久良郡に近いところから、当郷名の遺名とする。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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