星野芳樹(読み)ホシノ ヨシキ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「星野芳樹」の解説

星野 芳樹
ホシノ ヨシキ


肩書
元・参院議員(労農党),元・静岡新聞編集主幹

生年月日
明治42年3月30日

出生地
群馬県沼田市

出身地
神奈川県横浜市

学歴
静岡高中退

経歴
旧制高時代より左翼運動にのめり込み、昭和8年非合法運動で検挙、15年恩赦で出獄。その後上海に渡り、容海中学校の創設、引き揚げ促進運動などを手がけ、22年初の参院選労働者農民党から当選、1期務める。29年からは静岡新聞の論説委員。32年以来、アフリカを度々訪れ、アフリカ専門記者として先駆的な役割を果たした。定年後、50年にケニアナイロビに日本から若者を招き、スワヒリ語を教える星野学校を創設した。63年病気のため帰国。著書に「動乱のアフリカを行く」「いろいろな民族さまざまな生き方」など。

受賞
アジア・アフリカ賞(第5回)〔昭和62年〕

没年月日
平成4年5月31日

家族
兄=星野 直樹(内閣書記官長) 父=星野 光多(キリスト教指導者)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「星野芳樹」の解説

星野 芳樹
ホシノ ヨシキ

昭和期のジャーナリスト 元・静岡新聞編集主幹;元・参院議員(労農党)。



生年
明治42(1909)年3月30日

没年
平成4(1992)年5月31日

出生地
群馬県沼田市

出身地
神奈川県横浜市

学歴〔年〕
静岡高中退

主な受賞名〔年〕
アジア・アフリカ賞(第5回)〔昭和62年〕

経歴
旧制高時代より左翼運動にのめり込み、昭和8年非合法運動で検挙、15年恩赦で出獄。その後上海に渡り、容海中学校の創設、引き揚げ促進運動などを手がけ、22年初の参院選で労働者農民党から当選、1期務める。29年からは静岡新聞の論説委員。32年以来、アフリカを度々訪れ、アフリカ専門記者として先駆的な役割を果たした。定年後、50年にケニア・ナイロビに日本から若者を招き、スワヒリ語を教える星野学校を創設した。63年病気のため帰国。著書に「動乱のアフリカを行く」「いろいろな民族さまざまな生き方」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「星野芳樹」の解説

星野芳樹 ほしの-よしき

1909-1992 昭和時代のジャーナリスト。
明治42年3月30日生まれ。星野直樹の弟。昭和6年共産党に入党,8年入獄,15年出獄。上海で私塾をひらき中国人の教育にあたる。戦後帰国して海外抑留者の引き揚げ促進運動をすすめ,22年参議院議員(労働者農民党)。29年「静岡新聞」論説委員。のちケニアにスワヒリ語学院を開校した。平成4年5月31日死去。83歳。神奈川県出身。旧制静岡高中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「星野芳樹」の解説

星野 芳樹 (ほしの よしき)

生年月日:1909年3月30日
昭和時代のジャーナリスト。静岡新聞編集主幹;参議院議員(労農党)
1992年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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