春木義彰(読み)ハルキ ヨシアキ

20世紀日本人名事典 「春木義彰」の解説

春木 義彰
ハルキ ヨシアキ

江戸時代末期・明治期の司法官 検事総長;貴院議員(勅選)。



生年
弘化3年1月1日(1846年)

没年
明治37(1904)年12月17日

出生地
大和国法隆寺村(奈良県斑鳩町)

別名
通称=雄吉

経歴
文久3年師の伴林光平が天誅組の大和挙兵に参加し、翌元治元年獄死すると、その遺志を継いで慶応元年京都に出て志士と交わる。3年鷲尾隆聚らの高野山挙兵を授け、明治元年には鳥羽伏見戦争の脱兵と戦う。以後、錦旗奉行、総軍兵糧奉行などを務め、奥羽戦争にも従軍した。戦後兵部省の命令十津川郷士尊攘的動きの鎮撫にあたり、3年五条県設置に伴い、同県権少属となり鷲尾知事を援けた。のち司法界に入り、6年司法権少検事、以後東京上等裁判所判事、長崎控訴裁判所検事長を歴任。18年大審院検事、25年検事総長に就任。31年東京控訴院長に転じ、36年12月引退。翌37年勅選貴院議員となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「春木義彰」の解説

春木 義彰
ハルキ ヨシアキ


肩書
貴院議員,東京控訴院長

別名
通称=雄吉

生年月日
弘化3年1月1日(1846年)

出生地
大和国法隆寺村(奈良県)

経歴
文久3年師の伴林光平が天誅組の大和挙兵に参加し、翌元治元年獄死すると、その遺志を継いで慶応元年京都に出て志士と交わる。3年鷲尾隆聚らの高野山挙兵を授け、明治元年には鳥羽伏見戦争の脱兵と戦う。以後、錦旗奉行、総軍兵糧奉行などを務め、奥羽戦争にも従軍した。戦後兵部省の命令で十津川郷士の尊攘的動きの鎮撫にあたり、3年五条県設置に伴い、鷲尾知事を援けた。のち司法界に入り、6年司法権少検事、25年検事総長、36年東京控訴院長となり、翌37年勅選貴院議員となった。

没年月日
明治37年12月17日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「春木義彰」の解説

春木義彰

没年:明治37.12.17(1904)
生年:弘化3.1.1(1846.1.27)
明治期の司法官。大和国法隆寺村(奈良県斑鳩町)に生まれる。通称雄吉。幕末鷲尾隆聚侍従が密勅を奉じて高野山に挙兵するとこれに呼応し,また戊辰戦争や維新後の十津川郷士鎮撫などに活躍した。明治4(1871)年11月五条県権少属に任じられ,5年2月奈良県勤務となった。6月司法少検事に任命されて以来司法官の道を歩み,累進して25年8月検事総長に就任。31年6月司法部刷新のための人事異動で東京控訴院長に転じた。同職と検事総長とは同格だが,実質的には左遷とみてよい。36年12月引退し,翌年8月貴族院議員に勅選された。

(楠精一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「春木義彰」の解説

春木義彰 はるき-よしあき

1846-1904 幕末-明治時代の尊攘(そんじょう)運動家,司法官。
弘化(こうか)3年1月1日生まれ。鷲尾隆聚(わしのお-たかつむ)の高野山挙兵のとき軍資金調達を援助し,戊辰(ぼしん)戦争では奥羽征討軍にくわわった。のち司法界にはいり,明治25年検事総長,31年東京控訴院長となる。貴族院議員。明治37年12月17日死去。59歳。大和(奈良県)出身。通称は雄吉。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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