改訂新版 世界大百科事典 「十津川郷士」の意味・わかりやすい解説
十津川郷士 (とつがわごうし)
大和国吉野郡十津川地方の郷士。1587年(天正15)の太閤検地のときに郷中1000石が年貢赦免地となり,この特権は江戸時代にも受けつがれ,郷民には郷士の資格が与えられた。また郷士45人には幕府から北山川筏役(いかだやく)の免許として78石余りの扶持米の支給があった。早くから有志の郷士は尊王攘夷を唱えて国事に奔走し,1863年(文久3)4月に朝廷の直轄地へ編入を願い出て許され,国事参政支配地となる一方で,郷士は禁中守衛のため上洛した。同年8月に大和で挙兵した中山忠光らの求めに応じて天誅組に加わるが,8月26日の高取城攻めで総崩れとなった。9月に入り,朝廷から忠光ら天誅組追討の命令が下ると,9月15日に天誅組と分離して忠光らに対して十津川からの退去を求めた。67年(慶応3)12月,高野山に拠った侍従鷲尾隆聚(わしのおたかつむ)隊に応ずる者もあり,明治初年にはその独特な尊攘意識から,天皇の東京行幸に反対する動きをとった。
執筆者:高木 俊輔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報