コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

十津川郷士 とつかわごうし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

十津川郷士
とつかわごうし

大和 (奈良県) 吉野郡十津川地方の郷士。十津川千本槍などと称し,全郷民が南朝の遺臣と伝えており,江戸時代には五条代官所に属して公租を免じられていた。幕末には尊攘派志士に加担し,天誅組の変 (→大和五条の変 ) には多くの郷士が参加,戊辰戦争には多田,山科の郷士とともに御親兵となった。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

とつがわごうし【十津川郷士】

大和国吉野郡十津川地方の郷士。1587年(天正15)の太閤検地のときに郷中1000石が年貢赦免地となり,この特権は江戸時代にも受けつがれ,郷民には郷士の資格が与えられた。また郷士45人には幕府から北山川筏役(いかだやく)の免許として78石余りの扶持米の支給があった。早くから有志の郷士は尊王攘夷を唱えて国事に奔走し,1863年(文久3)4月に朝廷の直轄地へ編入を願い出て許され,国事参政支配地となる一方で,郷士は禁中守衛のため上洛した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

とつがわごうし【十津川郷士】

近世、十津川流域の在郷武士。太閤検地以来、郷中一千石が年貢赦免地となり、また郷士四五名は扶持米を受けた。1863年皇室領となり、天誅組の蜂起には多くの郷士が参加した。

出典|三省堂大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

十津川郷士
とつかわごうし

大和(やまと)国十津川郷(奈良県吉野郡十津川村)の山村に居住した在郷武士。神武(じんむ)天皇や飛鳥(あすか)朝に関連する伝承はともかく、南北朝時代には郷民が南朝方に属して活躍した確証があり、以来勤皇の郷を誇るに至った。1587年(天正15)の検地は、実測はほとんど行われず、郷中概算1000石が赦免地とされた。江戸時代もこの特権は継承され、年貢赦免の代務として御料林の材木運送(筏下(いかだおろ)し役)を負担した。1614年(慶長19)の大坂冬の陣および北山一揆(きたやまいっき)制圧などの功により郷士45人が鑓役(やりやく)とされ扶持米(ふちまい)78石を給されている。1853年(嘉永6)米艦来航以来、郷民一致して国事への奉仕を申し出て許され、皇居守衛に交代出仕している。1863年(文久3)の天誅組(てんちゅうぐみ)の変には郷士1000余名が参加したが、「八月十八日の政変」による朝議変更が明らかになったため離反した。明治初年の神仏分離令により、郷民はことごとく神道(しんとう)に帰している。[平井良朋]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内の十津川郷士の言及

【郷士】より

…郷士にはさまざまな種類があり,類型化は容易ではないが,大きくは(1)旧族郷士,(2)取立郷士に分けられる。(1)旧族郷士は,元来は正規の武士になるべきものが,近世初頭あるいはその後になんらかの事情により郷士となったもので,薩摩藩の外城(とじよう)衆,土佐藩の郷士,津藩や近江甲賀郡の無足人十津川郷士などが知られている。日向延岡藩の小侍,郷足軽もこれにあたる。…

【天誅組】より

…8月14日に京都を出て,大坂と河内を経て大和に入り,17日に五条代官所を襲撃して代官鈴木源内を殺害し,代官所支配地の朝廷直領化,本年の年貢半減などを布告した。はじめ土佐,筑後久留米,鳥取などの脱藩士が多かったが,河内の庄屋層が加わり,京都政変(8月18日)が伝えられると,十津川郷士の大量動員をはかった。26日めざす高取城攻撃に失敗すると十津川郷士の離反が相つぎ,さらに諸藩兵の追討を受けて敗走をつづけ,9月24日大和吉野郡鷲家口の激戦で多数の犠牲者を出して壊滅した。…

※「十津川郷士」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

十津川郷士の関連キーワード十津川村歴史民俗資料館天誅組・天忠組吉野(奈良県)十津川(村)藤井 織之助奈良(県)藤井織之助春木 義彰中井庄五郎春木義彰松本奎堂横井小楠藤本鉄石佐古高郷上平主税前田隆礼陸援隊蜂起親兵

今日のキーワード

分水嶺

1 分水界になっている山稜(さんりょう)。分水山脈。2 《1が、雨水が異なる水系に分かれる場所であることから》物事の方向性が決まる分かれ目のたとえ。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android