時務学堂(読み)じむがくどう(その他表記)Shí wù xué táng

改訂新版 世界大百科事典 「時務学堂」の意味・わかりやすい解説

時務学堂 (じむがくどう)
Shí wù xué táng

中国,清末の変法派の教育機関。湖南時務学堂ともよばれる。はじめ湖南巡撫陳宝箴(ちんほうしん),前国子監祭酒王先謙らの発議により中体西用を旨とする学堂として設立された。しかしその提調(校長)の熊希齢(ゆうきれい)のもとに集められた教員が,みな康有為門人か心酔者であったため,1897年(光緒23)10月に開校されるや,たちまち変法維新運動の拠点となった。梁啓超,唐才常らは,先に康有為が広州に開いた万木草堂の教育方針にのっとって大同と変法の思想を説いた。そのため保守派の反対圧迫を招き,わずか数ヵ月で閉鎖された。しかし,その学生の中には,後の唐才常による自立軍蜂起に参加したものもあり,政治の改革を求めた当時の青年たちに思想的な影響を大きく及ぼした。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「時務学堂」の意味・わかりやすい解説

時務学堂
じむがくどう
Shi-wu xue-tang; Shih-wu hsüeh-t`ang

中国,清末の学校湖南省に革新運動を推進させようとした譚嗣同熊希齢らが中心となり,梁啓超を総教習として,光緒 23 (1897) 年長沙に開設された。変法自彊運動をあおったため,保守派の郷紳と衝突した。翌同 24年梁は病気上海に去り,戊戌政変 (→戊戌の変法 ) の結果,教師らも離散し,同 25年には求実書院と改称した。

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