日本歴史地名大系 「時津町」の解説 時津町とぎつちよう 長崎県:西彼杵郡時津町面積:二〇・五八平方キロ長崎市の北に位置し、北部は大村湾に臨む。東部は長与(ながよ)町、北西部は琴海(きんかい)町に接する。町域の南部に飯盛(いいもり)山(一三八・九メートル)・烏帽子(えぼし)岳(四一三メートル)・鳴鼓(なづみ)岳(三九一・二メートル)などの山嶺があり、これらを水源とする時津川が西部から東流して南東部で北に流れを変えて時津港に注いでいる。同港は東の崎野(さきの)ノ鼻、西の久留里(くるり)崎などが突き出した小半島・岬に囲まれ、北西方の沖合には前(まえ)島(面積〇・二六三平方キロ)や黒(くろ)島・鷹(たか)島などが浮ぶ。北西部に堂風(どうふう)岳(二八六メートル)があり、子々川(ししがわ)川が北流する。時津川流域から北西部の海岸部にかけて国道二〇六号が通り、河口部で同二〇七号が分れる。町域の一部は大村湾県立公園の指定域内。西時津郷の前開(まえびらき)遺跡・碇(いかり)遺跡、日並郷の釜(ひなみごうのかま)ノ島(しま)遺跡などから旧石器時代や縄文時代の遺物が発見され、時津北小学校からは縄文時代前期の曾畑式土器、および弥生時代の磨製石斧や須玖式土器片が出土している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「時津町」の意味・わかりやすい解説 時津〔町〕とぎつ 長崎県中部,大村湾の南西岸にあり,長崎市の北西に接する町。 1951年町制。 59年村松村の一部を編入。古くは,大村湾の対岸彼杵港 (現東彼杵町) から時津港にいたり,陸路長崎に通じるのが重要な交通路で,時津は港を中心に交通の要地として発達。現在は野菜,ミカンを主とする近郊農業地である。 1905年長崎本線の開通に伴い一時港は寂れたが,国道 206号の開通とともに電機などの工業化も進み,人口急増地区となっている。面積 20.94km2。人口 2万9339(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by