曲野村(読み)まがのむら

日本歴史地名大系 「曲野村」の解説

曲野村
まがのむら

[現在地名]松橋町曲野

当尾とうのお台地およびその周辺部と、台地の東北にそびえる道徳どうとく(堂徳山・荒平山・微雨山とも。一三三メートル)の南麓一帯を中心として集落がある。西方大野おおの川の支流明神みようじん川が南流し、松橋村の境に沖積平野を形成している。東は古保山こおやま村、西は松橋村と宇土うと松山まつやま(現宇土市)、南は久具くぐ(大野川中流域の名称)を境に久具村・大野村、北は古保山村と宇土郡立岡たちのおか(現宇土市)に接する。全体として当尾台地を中心に畑地が多く、その狭間迫田が点在する。中世までは勾野・鈎野と表記した。当尾台地の西部、字橋川はしかわには曲野城跡があり、古くは宇土郡に属し、その南東端を占めていた。

建久六年(一一九五)三月日の甲佐社領立券解案(阿蘇家文書)に「宇土郡 勾野」として四至は「東限八代大道 南限墓町南縄 西限大野岸 北限高井小道」とあり、同年二月日の肥後国司庁宣(同文書)によれば、勾野は「免田且便補所々」の一つとして、阿蘇三宮甲佐こうさ社神領に組込まれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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