丸山城跡(読み)まるやまじようあと

日本歴史地名大系 「丸山城跡」の解説

丸山城跡
まるやまじようあと

[現在地名]能勢町地黄

能勢氏の居城で、地黄じおう古城ともいう。標高一五五メートル、比高約四〇メートルの丸山に位置する平山城。城跡は南北一五五メートル・東西三〇メートルに及び、本丸・二ノ丸・三ノ丸・堀切などの遺構がある。南麓登り口付近の小丘には、弘安一一年(一二八八)一一月三日に造立された石造九重塔(府指定文化財)と、延文五年(一三六〇)の宝篋印塔がある。能勢氏は、多田源氏源頼光の流れをくみ、長元年中(一〇二八―三七)その子頼国がこの地に入部したとも、平安末期の国基を祖とするともいわれる。「寛政重修諸家譜」は「国基より代々摂津国能勢郡を領し、左近頼幸にいたるまで丸山城に住す」と記す。


丸山城跡
まるやまじようあと

[現在地名]川本町三原

中世の小笠原氏の居城。木谷きだに川西岸にそびえるまる(四八〇メートル)の山頂に築かれ、谷を挟んだ南側に現桜江さくらえ町の甘南備寺かんなみじ山がある。小笠原氏の居城となった経緯は、広汲寺縁起(全長寺文書)などによると以下のとおり。永禄二年(一五五九)八月温湯ぬくゆ籠城の末に毛利氏に降った小笠原長雄は江川以南の所領を明渡し、和睦後に江川以北の(甘南備寺山)へいったん退いた。この直後、毛利氏の九州攻めに従い、その軍功により丸山(円山)に在城し、残存した江川以北の所領を支配したとされる。おそらく小笠原氏領のうち江川以北の主要部分を占める三原みはら郷を見下ろす丸山に、温湯籠城以前から城郭が存在していたのであろう。


丸山城跡
まるやまじようあと

[現在地名]三島町桧原 上峠

桧原ひのはらの南約四〇〇メートル、大飛戸おおひど山頂(四五〇メートル)に築かれた中世の山城で、「会津鑑」に「丸山城、駒鳴峠ノ内ニ有リ、本丸東西十六間、南北十三間、二ノ丸東西七間半、南北八間半(中略)、要害ハ赤畠山ヨリ嶺続キ三方切リ入リタル谷、大難所ニテ麓ヨリ頂キ迄テ高サ百八十間、西北ニ只見ノ大河、南ハ九々折ノ道大峠、東ハ平地ニ続キ高山有リ、常住ノ所ハ麓ノ春日ノ原ニ館ヲ築キ住ス」とある。


丸山城跡
まるやまじようあと

[現在地名]土肥町八木沢

八木沢やぎさわ海岸の海へ突き出て碗を伏せたような小高い丘陵上に位置する城跡。平坦な頂部には虎口を有する土塁が残存し、北側斜面には腰郭が五、六段巡る。小高い独立丘状の部分が本来の本郭で、その後南側丘陵部へ増築した際に本郭を移動して出丸となったと推定される。当城は小田原北条氏の家臣で伊豆水軍の富永氏の居城とされる。出丸はかつて南側を除き海に囲まれていたが、現在では東側が埋立てられて平地となっている。平地部分は古くは八木沢の池とよばれ、それ以前は深い入江を形成していた。築城当時は入江を船溜りとして利用していたと考えられる。


丸山城跡
まるやまじようあと

[現在地名]北房町下呰部

下呰部しもあざえの東部、天守てんしゆ(四六五・八メートル)付近にある山城で、東側に堀切が残る。天文(一五三二―五五)初年、松山まつやま(現高梁市)城主庄為資の築城と伝え、庄氏系譜(荘文書)には呰部上合寺山じようごうじやま城とある。永禄三年(一五六〇)に為資の子庄高資が城主となったという。「備中集成志」では城主を福井孫六左衛門尉とする。永禄一一年宇喜多氏が備中に侵入して当城を攻撃、佐井田さいだ城の植木秀資とともに抗戦したがやがて降伏し、尼子氏の麾下となった。


丸山城跡
まるやまじようあと

[現在地名]仲南町十郷 買田

買田かいたの西部にある丸山(一九六メートル)の山頂付近にある。山頂部に本丸跡と思われる東西六五メートル・南北二〇メートルの削平地がある。同所から南と北西に延びる尾根があり、その西側は急斜面になっている。南に延びる尾根の主軸線上に六段の郭がある。本丸に近い二つの郭は張出して、その裾を幅三―四メートルの帯郭が走り、本丸の東側を取巻いている。帯郭を越えて南に尾根を下ると二段の郭があり、その下に空濠がある。空濠は尾根筋を幅四メートルの溝で切断しており、その中央部が土橋状になっている。この空濠の下に八×六メートルの郭があり、この郭が最も下方の郭である。


丸山城跡
まるやまじようあと

[現在地名]高森町色見

色見しきみ集落の北方約三キロ、阿蘇外輪山の中腹にある。標高一一八六メートル。「南郷事蹟考」に「土俗鎮西八郎為朝ノ城ナリト云」とあり、さらに文政一(ママ)(一八三一)大きな釜・茶臼・鏡・土器・茶碗などを掘出したと伝え、しろ山の麓に「陣屋」や「ヤカタ河」の地名があり、西側には「道ノ跡所々ニ見ユ是レ大手ト見ユ」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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