曽根城(読み)そねじょう

日本の城がわかる事典 「曽根城」の解説

そねじょう【曽根城】

岐阜県大垣市にあった戦国時代から安土桃山時代にかけての平城(ひらじろ)。安藤守就(道足)、氏家直元(卜全)とともに西美濃三人衆といわれた勇将・稲葉良通(一鉄)が築き、居城とした城である。西美濃の有力武将・稲葉の居城で、江戸幕府の3代将軍・徳川家光の乳母春日局(かすがのつぼね)(一鉄の孫)の生誕地ともいわれる。この城は永禄年間(1558~69年)、一鉄によって築かれた。一鉄は斎藤氏3代(道三・義龍・龍興)、織田信長、豊臣秀吉に仕えた。信長が討ち死にした本能寺の変後、一鉄は一時期秀吉の不信を買ったが、そのとき、一鉄は曽根城を退去した。そのため、1588年(天正16)には西尾光教が曽根城主となった。光教は1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いで東軍(徳川方)として従軍した。戦後、その功績から美濃揖斐藩の初代藩主となり、揖斐陣屋(揖斐城の近く。現在の揖斐川町三輪)に移ったことから、曽根城は廃城となった。現在、城跡一帯はハナショウブの名所として知られる曽根城公園となっている。本丸があった場所は、1734年(享保19)に移転してきた華渓寺(一鉄が母の菩提寺として建立した寺院)の境内になっている。発掘調査結果、境内から石垣土塁などが発見された(現在は保存のため埋め戻されている)。JR東海道本線大垣駅から近鉄バス黒野線、曽根下車後、徒歩約5分。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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