最恩寺(読み)さいおんじ

日本歴史地名大系 「最恩寺」の解説

最恩寺
さいおんじ

[現在地名]富沢町福士

福士ふくし川と有東うとう川との合流点南岸にある。福士山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊釈迦如来。慶応四年(一八六八)当寺が提出した由緒書(寺記)によると、村内最初の寺院で郷名をもって山号とし、四間四方の二階堂に行基作の阿弥陀三尊を安置したとの伝承があるが、創建年代は不詳で、立翁が中興開山となって再建し臨済宗妙心寺派に改めたという。その後荒廃し、駿河国出兵の際当寺に参詣した武田信玄から仏餉料として一四貫五〇文の寺領を寄付され、再興したとされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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