朝鮮人街道(読み)ちようせんじんかいどう

日本歴史地名大系 「朝鮮人街道」の解説

朝鮮人街道
ちようせんじんかいどう

中山道に並行してその琵琶湖寄りに通る街道。江戸時代から朝鮮通信使一行が通行する道として朝鮮人道という呼称がある。湖畔を通るのではま街道、中山道をかみ街道ともいうのに対して下街道織田信長の時代には安土道・上洛じようらく道とも、さらにきよう街道とも称したというが確認できないものもある。信長は安土城下建設の頃は城下と上街道を脇道で結んでいたが、天正一〇年(一五八二)四月までにはのちの当街道筋に近いルートに付替えたようだ(「信長公記」同月二一日条)。慶長一〇年(一六〇五)江戸幕府は、豊臣秀吉朝鮮出兵により断絶していた朝鮮との国交を修復、同一二年に公式の通信使が来聘して以来、文化八年(一八一一)まで一二度に及んだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朝鮮人街道」の意味・わかりやすい解説

朝鮮人街道
ちょうせんじんかいどう

下街道,浜街道ともいう。滋賀県湖東地方を通る中山道の脇往還。中山道鳥居本から分れ,彦根,安土,近江八幡を経て野洲で再び中山道に合する。織田信長の安土築城以来重視され,寛永年間 (1624~44) 以後は朝鮮からの使節が通行したのでこの名がある。現在は大部分が県道大津能登川長浜線に組入れられている。

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世界大百科事典(旧版)内の朝鮮人街道の言及

【野洲[町]】より

…野洲は中山道の宿駅として発達し,浜街道を分岐する交通の要地であった。浜街道は安土(あづち)を経由して鳥居本で中山道と合流する脇往還であるが,江戸時代に朝鮮使節がこの街道を利用したことから,〈朝鮮人街道〉とも呼ばれた。現在は東海道本線,新幹線,国道8号線,名神高速道路などが通り,東海道本線の電車基地がある。…

※「朝鮮人街道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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