木原孝一(読み)きはらこういち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「木原孝一」の意味・わかりやすい解説

木原孝一
きはらこういち
(1922―1979)

詩人、放送劇作家。本名太田忠(ただし)。東京府立実科工業卒業。建築を学ぶ。若くして北園克衛(きたそのかつえ)の詩誌『VOU(バウ)』に参加。第二次世界大戦には中支派遣軍として出征硫黄(いおう)島より病気で帰国戦後、詩誌『荒地(あれち)』に参加。硬質の言語で、戦争と人間の不条理を描き出す。『木原孝一詩集』(1956)をはじめ多くの詩集があり、放送詩劇ではイタリア賞グランプリも受賞。一方、雑誌『詩学』の編集者としても大きな業績を残している。

[原崎 孝]

『『木原孝一全詩集』(1982・永田書房)』

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20世紀日本人名事典 「木原孝一」の解説

木原 孝一
キハラ コウイチ

昭和期の詩人



生年
大正11(1922)年2月13日

没年
昭和54(1979)年9月7日

出生地
東京府八王子市

本名
太田 忠

学歴〔年〕
東京府立実科工業建築本科〔昭和13年〕卒

主な受賞名〔年〕
放送芸術祭文部大臣賞〔昭和32年〕「いちばん高い場所」(放送詩劇),イタリア賞グランプリ〔昭和40年〕「御者パエトーン」(音楽詩劇)

経歴
昭和11年「VOU」に参加し、アバン・ギャルドの新鋭として注目される。戦争中は中国戦線に従軍し、のち内地勤務となる。16年ルポルタージュ「戦争の中の建設」を刊行。戦後は「荒地」に参加し、31年「100人の詩人」を刊行。32年放送詩劇「いちばん高い場所」で放送芸術祭文部大臣賞を受賞。他の詩集に「木原孝一詩集」「ある時ある場所」などがあり、評論集に「近代詩から現代詩へ」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木原孝一」の解説

木原孝一 きはら-こういち

1922-1979 昭和時代の詩人。
大正11年2月13日生まれ。詩誌「VOU(バウ)」をへて,戦後「荒地(あれち)」に参加。「詩学」の編集者として新人発掘につとめた。詩集に「星の肖像」「ある時ある場所」,音楽詩劇に「御者バエトーン」(昭和40年イタリア賞グランプリ)など。昭和54年9月7日死去。57歳。東京出身。東京府立実科工業卒。本名は太田忠。

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367日誕生日大事典 「木原孝一」の解説

木原 孝一 (きはら こういち)

生年月日:1922年2月13日
昭和時代の詩人
1979年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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