木挽町五丁目(読み)こびきちようごちようめ

日本歴史地名大系 「木挽町五丁目」の解説

木挽町五丁目
こびきちようごちようめ

[現在地名]中央区銀座ぎんざ六丁目

木挽町四丁目木挽橋たもとからの道を挟んで南に続く片側町。東は武家地、西は三十間さんじつけん堀に面する。安永三年小間附町鑑によると京間六一間、公役銀を納める。名主松村まつむら町と同じ。「江戸惣鹿子名所大全」は木挽町五丁目橋通りに鼻紙袋屋があると記す。万治三年(一六六〇)森田太郎兵衛によって江戸三座の一、森田座が開設された。寛文元年(一六六一)太郎兵衛は坂東又九郎に座元を譲り、又九郎の次男養子として森田勘弥を名乗らせたと伝える。寛文年間には河原崎座との合併興行などを行った。享保年間(一七一六―三六)には経済的に行詰り、同一九年から寛保三年(一七四三)まで休座、その後寛政(一七八九―一八〇一)・文化(一八〇四―一八)・文政(一八一八―三〇)・天保(一八三〇―四四)の各年間にも数度休座しており、いずれも河原崎座が代わって興行した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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