森田勘弥(6代) もりた-かんや
1724-1780 江戸時代中期の歌舞伎役者,座元。
享保(きょうほう)9年生まれ。初代中村重助(じゅうすけ)の子。初代沢村宗十郎の門下で,2代沢村小伝次となる。容姿にすぐれ,若女方を本領とした。宝暦元年5代森田勘弥の娘婿となり,江戸森田座の座元をつぐ。安永3年隠居,後名は森田八十助(やそすけ)。安永9年5月19日死去。57歳。江戸出身。初名は竹中重の井。俳名は賀尉,残杏。屋号は喜の字屋。
森田勘弥(8代) もりた-かんや
1759-1814 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者,座元。
宝暦9年生まれ。5代森田勘弥の子。天明3年8代勘弥をつぐ。寛政元年から10年まで,および12年に森田座は休座となる。享和元年(1801)座元を子にゆずり,坂東八十助(やそすけ)と改名。文化11年2月24日死去。56歳。江戸出身。初名は森田又次郎。前名は坂東又九郎(4代)。俳名は槳花,喜幸。屋号は喜の字屋。
森田勘弥(3代) もりた-かんや
?-1722 江戸時代前期-中期の歌舞伎役者,座元。
初代坂東又次郎の子。2代森田勘弥の弟。元禄(げんろく)12年太夫元をつぐ。道行(みちゆき)所作事,拍子事にたくみだった。正徳(しょうとく)2年(1712)兄の子に4代をつがせ,3代坂東又九郎として江戸森田座の座元をつとめる。享保(きょうほう)7年2月24日死去。初名は坂東福松。前名は坂東又次郎(2代)。
森田勘弥(9代) もりた-かんや
?-1838 江戸時代後期の歌舞伎役者,座元。
8代森田勘弥の子。享和元年9代勘弥をつぐ。文化5年(1808)江戸森田座を再興したが,12年から休座。文政5年(1822)あらためて再興したが1年で休座。のち江戸払いとなった。天保(てんぽう)9年7月1日死去。江戸出身。前名は森田又吉。後名は坂東八十助。俳名は眠舎,喜幸。屋号は喜の字屋。
森田勘弥(2代) もりた-かんや
?-1734 江戸時代前期-中期の歌舞伎役者,座元。
初代坂東又次郎の子。初代森田勘弥の甥(おい)で,その没後2代をつぐ。元禄(げんろく)12年(1699)弟に3代をつがせて2代坂東又左衛門と改名,翌年2代坂東又九郎となり江戸森田座の座元をつとめる。小唄,説経節の名手。享保(きょうほう)19年6月19日死去。初名は坂東又吉。
森田勘弥(10代) もりた-かんや
?-1851 江戸時代後期の歌舞伎役者,座元。
3代坂東三津五郎(みつごろう)の3男,または養子。文政13年(1830)森田家をつぐ。天保(てんぽう)4年江戸森田座を再興したが,8年から休座した。嘉永(かえい)4年5月22日死去。初名は坂東三田八(2代)。前名は坂東三八(2代)。俳名は賀尉。屋号は大和屋,喜の字屋。
森田勘弥(5代) もりた-かんや
?-1802 江戸時代中期の歌舞伎役者,座元。
4代森田勘弥の母方の血縁で,宝来屋金七の子という。延享元年(1744)森田家の養子となり,5代をついで江戸森田座を再興した。病気のため,宝暦元年(1751)娘婿の2代沢村小伝次を6代勘弥として隠居。享和2年10月2日死去。幼名は金蔵。後名は森田又左衛門。俳名は杜光。
森田勘弥(4代) もりた-かんや
?-1743 江戸時代中期の歌舞伎役者,座元。
2代森田勘弥の子。正徳(しょうとく)2年太夫元をつぐが,享保(きょうほう)19年借財のため江戸森田座は休座となり,河原崎座が興行を代行。再興をみずに,寛保(かんぽう)3年9月17日死去。初名は坂東鍋太郎。前名は坂東又次郎(4代)。俳名は真鳥。
森田勘弥(初代) もりた-かんや
?-1679 江戸時代前期の歌舞伎役者,座元。
初代坂東又九郎の次男。2代中村勘三郎の門人。森田太郎兵衛の養子となり,寛文元年(1661)江戸森田座の太夫元をつぐ。家系の2代,森田勘弥名義の初代。延宝7年2月25日死去。初名は坂東又七。前名は森田太七。
森田勘弥(7代) もりた-かんや
?-1783 江戸時代中期の歌舞伎役者,座元。
6代森田勘弥の長男。2代森田太郎兵衛を名のり,安永3年(1774)7代勘弥をついで江戸森田座の座元をつとめた。天明3年8月10日死去。江戸出身。初名は森田勘次郎。俳名は賀尉,千蝶,残杏。屋号は喜の字屋。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例