日本歴史地名大系 「木更津湊」の解説
木更津湊
きさらづみなと
近世の木更津村の西端、江戸湾に面した湊。西上総一帯や遠く安房方面からの物資が江戸などへ積出された。元禄三年(一六九〇)の幕府廻米津出浦々河岸之道法并運賃書付(徳川禁令考)に木佐良津河岸とみえ、海上九里の江戸までの運賃は米一〇〇石につき一石一斗。江戸と木更津湊の間は順風の場合で四、五時間を要したという。木更津船之由緒書(重田家文書)によれば、大坂の陣に木更津村から水主が動員され、半数が死亡したため、その救済として大久保長安らの尽力で、木更津村は近隣の幕府領の年貢米の輸送権、江戸舟町(本船町)の木更津河岸の占有権(のちに本材木町に移転)、上総・安房への旅客の乗船権を得たと伝えられている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報