日本大百科全書(ニッポニカ) 「木村セバスチャン」の意味・わかりやすい解説
木村セバスチャン
きむらせばすちゃん
Kimura Sebastião
(1565/1566―1622)
イエズス会宣教師。肥前国平戸(ひらど)(長崎県)に生まれる。12歳で同宿(どうじゅく)(宣教師と共住、その身のまわりの世話をし、伝道活動を助ける)となり、1580年(天正8)有馬のセミナリオ(小神学校)の第1期生となる。1584年修練を終え、誓願をたててイエズス会イルマン(修道士)となり、京都、九州地方で説教師として働いた。1596年(慶長1)マカオへ神学の勉強のために留学し、1600年(慶長5)帰国後助祭となり、翌1601年長崎にて最初の邦人司祭にあげられた。1614年のキリシタン禁教令の際には日本に残留し、長崎にて司牧活動を続けた。1621年(元和7)6月29日、密告により大村の鈴田の牢(ろう)に投獄された。翌1622年9月10日、いわゆる元和(げんな)大殉教において他の54人とともに長崎西坂の丘にて火刑に処せられた。1867年教皇ピウス9世によって福者(聖人の次位者の称号)に列せられた。
[宮崎賢太郎 2018年3月19日]
『フーベルト・チースリク著『キリシタン人物の研究』(1963・吉川弘文館)』