1622年(元和8)長崎西坂で火刑、斬首(ざんしゅ)によりキリシタン55人が殉教した事件。元和期(1615~24)に入ると江戸幕府によるキリシタン弾圧は過酷になり、1620年(元和6)朱印船による宣教師の潜入がイギリス、オランダ両国により摘発され、翌々年の22年7月に船長平山常陳(じょうちん)、宣教師2人(アウグスチノ会士ズニガ、ドミニコ会士フローレス)の火刑および乗組員の打首によって落着したが、この平山常陳事件を契機にキリシタン大迫害が開始された。同年8月5日(陽暦9月10日)、長崎や大村の牢獄(ろうごく)につながれていたキリシタンが刑場に引き出され、25人が火刑に、30人が斬首された。処刑者は各会派の宣教師、指導的立場にあったキリシタン、宣教師に宿を貸した者などで、そのなかには80歳の老婦など女性や小児も含まれていた。その中心人物の一人であるイエズス会神父カルロ・スピノラは、1612年(慶長17)10月9日(陽暦11月8日)長崎で月食を観測し、長崎の経度を測定したことで著名。この大殉教は幕府のキリシタン弾圧の画期となり、各藩の徹底的な弾圧を促進し、一方、この知らせはマニラにおける殉教熱をあおり、以後宣教師の決死的潜入が続出した。なおこの殉教を描いた絵画が、ローマのイエズス会の聖堂に掲げられている。
[村井早苗]
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1622年(元和8)8月5日,長崎でのキリシタンの殉教。イエズス会宣教師スピノラはじめ計55人が火刑・斬首された。このときのようすはローマのイエズス会の作者不詳の絵図にみえる。
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