木村探元(読み)きむら・たんげん

朝日日本歴史人物事典 「木村探元」の解説

木村探元

没年:明和4.2.3(1767.3.2)
生年:延宝7(1679)
江戸中期の画家。名は時員,守広,通称は村右衛門,別に大弐,三暁庵と号した。薩摩(鹿児島県)の人。はじめ坂元養伯に学び,狩野探幽私淑,江戸に出て狩野探信に入門する。のち薩摩に帰り,島津家に仕えて享保19(1734)年法橋に叙せられ,「薩摩の探元」とその名を馳せたという。画は室町風水墨画特色をみせたが,「製茶図屏風」(個人蔵)のような風俗画も遺している。『三暁庵雑志』3巻の著がある。

(星野鈴)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木村探元」の解説

木村探元 きむら-たんげん

1679-1767 江戸時代中期の画家。
延宝7年生まれ。薩摩(さつま)(鹿児島県)の人。江戸で狩野探信(かのう-たんしん)(守政)に師事雪舟にも傾倒し,室町風の水墨画を得意とした。鹿児島藩御用絵師をつとめる。享保(きょうほう)19年法橋(ほっきょう)。明和4年2月3日死去。89歳。名は時員(ときかず)。通称は村右衛門。別号に大弐(だいに),三暁庵。作品に「富士山図」,著作に「三暁庵談話」。

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