木立村(読み)きだちむら

日本歴史地名大系 「木立村」の解説

木立村
きだちむら

[現在地名]幸手市木立

上吉羽かみよしば村の東に位置し、権現堂ごんげんどう川右岸の沖積地に立地する。同川を隔てて北は幸舘こうだて(現茨城県五霞村)。地形は同川沿いの自然堤防と後背低湿地からなる。永享元年(一四二九)五月の鶏足寺世代血脈(栃木県鶏足寺蔵)に「下河辺木立光明院」とみえ、応永(一三九四―一四二八)の頃、下野小俣鶏足おまたけいそく(現栃木県足利市)三〇世源宥の印可を受けた英俊は、当地の光明こうみよう院で弟子に伝法の授与を行っている。「風土記稿」によると、同院は水害により堂舎を失い、平須賀ひらすかに移って宝聖ほうしよう寺と一寺になったという。葛飾郡幸手領に属した(同書)。慶長六年(一六〇一)奥州仙台伊達家の久喜鷹場に指定された(貞享元年「久喜鷹場村数覚」伊達家文書)

木立村
きたちむら

[現在地名]佐伯市木立

塩屋しおや村の南東津志河内つしがわち村の東、堅田かたた川支流の木立川流域に位置。天正七年(一五七九)七月、島津氏に帰属した日向海辺の武士が海路木立の入江に侵入、佐伯惟定はこれを襲い二六名を討取った(大友家文書録)。同一八年三月三日佐伯「きたち」の清十郎ほか一名が、同一九年三月七日「きたち」衆七人がそれぞれ伊勢神宮に参詣している(「参宮帳写」後藤作四郎文書)

木立村
こだちむら

[現在地名]河口湖小立こだち

河口湖の南岸にある。東は船津ふなつ村、西は勝山かつやま(現勝山村)、南は富士山裾野で成沢なるさわ(現鳴沢村)。地内の常在じようざい寺所蔵「円極実義抄」下の奥書に「甲斐国都留郡大原庄小館常在寺」とみえる。年紀部分は墨で消されているが、これを書写した同寺開山日授は貞和元年(一三四五)に没しているから(甲斐国志)、これに先立つものである。

慶長八年(一六〇三)九月三日の鳥居家代官連署証文(富士御室浅間神社文書)の宛所に「大原七ケ郷」とみえる七郷のうちという(甲斐国志)

木立村
こだちむら

[現在地名]大田原市北金丸きたかねまる

南東流する湯坂ゆざか川とあいノ川の間、微高地に集落がある。北は桜井さくらい村、南は長倉ながくら村。天正一八年(一五九〇)大関氏が豊臣秀吉に安堵された所領のうちに「小館」がみえ、五四石一斗一升とある(「黒羽藩領知高書上」宇都宮大学附属図書館蔵)。寛文四年(一六六四)の黒羽藩領知目録(黒羽町蔵)に木立村とある。「小館」がのちに木立に変わったといえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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