日本歴史地名大系 「木門田村」の解説 木門田村きもんでんむら 広島県:尾道市木門田村[現在地名]尾道市木(き)ノ庄(しよう)町木門田畑(はた)村の西南にあり、もと門田村と称したが、御調郡にもう一つの門田村(現御調郡御調町)があるため、木頃門田(きごろもんでん)村と称し、のち木門田となる。村域は山地が大部分で、中央部を木門田川が蛇行して南流、村の中部近信(ちかのぶ)・頼広(よりひろ)と南部石畦(いしぐろ)でやや広い平坦地を形成。木門田川の支流には開析谷が形成され、谷の上流には溜池が築かれている。吉井(よしい)谷から須恵器の登窯である吉井谷窯跡が発見された。中世には杉原氏の勢力圏に含まれていたと考えられ、次いで毛利氏の領国となった。元和五年(一六一九)の備後国知行帳には「門田村」とあり、高六五五・三六三石。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by