木間塚村(読み)きまづかむら

日本歴史地名大系 「木間塚村」の解説

木間塚村
きまづかむら

[現在地名]鹿島台町木間塚

大松沢鹿島台おおまつざわかしまだい丘陵東端と南流する鳴瀬なるせ川および品井しない沼に囲まれた低地にある。北は船越ふなこし村、西は平渡ひらわた村に接し、鳴瀬川対岸は遠田とおだ郡木間塚村(現南郷町)に接する。承久二年(一二二〇)六月一六日の関東下知状写(高洲文書)によれば「陸奥国長世保内木万塚村地頭職事」が山鹿三郎遠綱に与えられている。同四年一月二三日の陸奥国司庁宣写(同文書)では、当村の「所当以下雑事」は別納として、保地頭を経ず直接山鹿氏により沙汰されている。宇都宮朝綱の猶子とみられる山鹿三郎遠綱が遠田郡地頭となったのは承元四年(一二一〇)正月三〇日の将軍下文(写、同文書)によってである。しかし建暦三年(一二一三)和田義盛の乱に連座して遠田郡地頭職を北条泰時に替えられ(大和町史)、のち許されて長世ながせ保内の別納地木万塚村地頭となった。


木間塚村
きまづかむら

[現在地名]南郷町木間塚

鳴瀬なるせ川が大松沢おおまつざわ丘陵の東部先端を大きく迂回する左岸に沿った自然堤防上に位置。南郷みなみごう六ヵ村のほぼ中央で、北は大柳おおやなぎ村、南は二郷にごう村、対岸下流に志田郡木間塚村(現鹿島台町)がある。鎌倉時代長世ながせ(現志田郡など)に含まれたとも考えられる。承久二年(一二二〇)六月一六日の関東下知状写(高洲文書)に「長世保内木万塚村」とみえ、志田郡の木間塚村一帯に比定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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