本向寺(読み)ほんこうじ

日本歴史地名大系 「本向寺」の解説

本向寺
ほんこうじ

[現在地名]美山町市波

市波いちなみの南の山麓にある。浄土真宗本願寺派。隆向山と号し、本尊阿弥陀如来開祖は源頼朝の重臣千葉常胤の四男大須賀胤信と伝え、親鸞帰依して本光坊明空と称し、当地に一寺を創建したという。二代明堅の時、北方大谷おおたに村に移り、五代了顕の時、蓮如の吉崎よしさき御坊建立に伴い、吉崎(現福井県金津町)に多屋とよばれる坊舎を構えた。了顕は文明六年(一四七四)三月吉崎御坊の火災の際、猛火の中に飛込み、蓮如愛用の親鸞真筆の教典を自分の腹を割って中へ押込んで守り、自身は焼死したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む