本多忠良(読み)ほんだ ただよし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多忠良」の解説

本多忠良 ほんだ-ただよし

1690-1751 江戸時代中期の大名
元禄(げんろく)3年生まれ。播磨(はりま)(兵庫県)山崎藩主本多忠英(ただひで)の長男。越後(えちご)(新潟県)村上藩主本多忠孝(ただたか)が没した際,由緒ある家を断絶させないため,支族忠良が宝永6年同藩主本多家2代となる。三河(愛知県)刈谷(かりや)藩主をへて正徳(しょうとく)2年下総(しもうさ)古河(こが)藩(茨城県)藩主本多家初代。5万石。享保(きょうほう)19年老中。寛延4年7月15日死去。62歳。初名は忠隆。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android