本山郷
もとやまごう
近世、現本山町の全域および東隣の大豊町北西部、西隣の土佐郡土佐町東端の一部を郷域とした。「土佐州郡志」は「郷内縦八里許、横四里許、東至豊永、西連本川、南距土佐郡森村豊永村、北隣予州阿州、郷内小村三十三皆総於此、其事則記諸下、人民凡千二百八十余家、相伝、昔本山県領此地築城居之、後吉良梅慶者攻取而拠此城、梅慶亦姓為本山、領此地者累代姓本山、採其姓名郷歟」と記す。この小村三三は本山村・大石村・芳延村・古田村・高津野村・井ノ窪村・下津野村・木能津村・介藤村・汗見村・寺家村・北山村・上関村・下関村・汗見川村(立野村・売生野村・沢柿内村・屋所村・坂本村・桑ノ川村を一括)(現本山町)、大川内村(上津川村・下川村・井尻村・古味村・大淵村を一括)・田井村(現土佐町)、立川上名村・立川下名村・川口村・葛原村・奥大田村・谷村・尾生村・磯谷村・津家村・小川村・杉村・高須村・比浦古味村・敷岩村・穴内村・和田村(現大豊町)である。なお元禄地払帳は立野など六村を「大川内」、上津川など五村を「汗見川」として括るが、これは逆で、同帳の誤りと思われる。
本山郷
もとやまごう
「和名抄」の諸本に訓を欠く。中世には九条家領の本山庄が成立する。現三豊郡豊中町本山甲・本山乙を遺称地とし、岡本を含む財田川右岸に比定される。
本山郷
もとやまごう
「和名抄」諸本のうち高山寺本・名博本は「本田」とし、諸本ともに訓を欠く。「太宰管内志」は「毛等也万と訓ムべし」とするが、「日本地理志料」は「本山」は「木山」の誤記とし、京都郡に接する仲津郡木山(現犀川町)に比定するが、未詳。
本山郷
もとやまごう
「和名抄」東急本には「毛止夜万」と訓を付す。室町時代に和泉半国守護家の細川氏が伝領した本山郷がみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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