日本歴史地名大系 「本栖城跡」の解説 本栖城跡もとすじようあと 山梨県:西八代郡上九一色村本栖村本栖城跡[現在地名]上九一色村本栖本栖湖の北西にそびえる烏帽子(えぼし)岳から青木(あおき)ヶ原(はら)樹海に向けて南東方向に突き出した城(じよう)山の山頂に築かれた戦国期の山城。本栖は甲斐と駿河の国境に位置し、当城直下を両国を結ぶ主要道の中道(なかみち)往還が通り、この往還を押えるための城であったとみられる。築城者・築城時期は不明だが、「甲斐国志」は源吉春の城との伝承を記す。「高白斎記」の天文一四年(一五四五)九月一二日条に、武田晴信の将駒井政武が「本栖御陣所」に着陣したとみえるが、これを本栖城とする見方がある。同二二年五月晦日、晴信が西湖衆八人に「本栖之番」などを勤める代償に富士の自由往復を認めているが、これも当城の在番役との見方がある(「武田晴信印判状」西湖区有文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by