江戸時代、天領や諸藩などで自・他領を連絡する交通の要地に、旅人や荷物の出入りを検査するために設けられた見張り所。このなかには関所と私称したものもあるが、幕府法上にいう関所ではない。しかし、本州の中央部では一部、幕府の関所に格づけされたものもあった。近世初頭、諸大名は他者との軍事・政治的緊張に備えて封境に口留番所を設けたが、これは領民の他領逃亡の防止や一揆鎮撫(いっきちんぶ)などにも重要な役割を果たした。さらに、年代の下降とともに経済的機能に重点が置かれるようになり、商品の密移出入を監視する一方、移出入認可の商品から一定の口留運上(うんじょう)、役銀などを徴収した。
[丸山雍成]
江戸時代,諸藩が藩境や水陸交通の要地に設置した,関所に類する施設。たんに番所ともいい,幕府の関所に対抗して関所と称することもある。幕府が武家諸法度で諸藩による関所設置を禁止したため,多くの藩では実質的には関所的機能を有する口留番所を設け,藩境の警備のため旅人の出入りや物資の領外移出を監視した。はじめは軍事的緊張から前者に重点があったが,やがて後者の経済的機能が重視されるようになった。東北・北陸・九州地方の外様藩領で多く設置されたが,譜代藩が設置したものもあり,幕府も甲斐・飛騨両国に多く設置している。幕府が脇往還に設置した小規模な関所(脇関)を口留番所ともいう。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…1635年(寛永12)の〈武家諸法度〉に幕府は〈私関所,新法の津留,制禁の事〉という一条を定め,新規の津留を禁じたが,以後諸藩の津留政策がなくなったわけではない。津留の執行機関は藩領各地に設けられた口留番所(くちどめばんしよ)や沖ノ口番所で,湊における移出入の統制だけでなく,藩境目など陸上交通の要所においても取り締まったのである。 津留の具体的目的は時期・場所によって多少の違いがみられ,近世初期の津留は藩の必要物資が移出入によって不足することを防止し,藩経済の一体化を図るものであった。…
…陸上交通では街道に設けられた関所が番所であり,実際に関所の建物を番所と呼んでいた。各藩でも隣接する藩や天領に通じる要所に口留番所を設け,主として領内の産物が他領へ流出するのを監視し,出入りする物資に一定の割合で徴税することもあった。 江戸では,ただ単に御番所という場合は町奉行所のことである。…
※「口留番所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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