本間清雄(読み)ホンマ キヨオ

20世紀日本人名事典 「本間清雄」の解説

本間 清雄
ホンマ キヨオ

江戸時代末期〜大正期の外交官



生年
天保14年3月27日(1843年)

没年
大正12(1923)年

出生地
駿河国小笠郡下平川(静岡県小笠町)

別名
幼名=潜蔵

経歴
14歳の時に家を出て横浜に赴き、アメリカ人ヘボンについて語学を学ぶ。元治1年(1864年)ジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)の知遇を得、筆記方として彼が発刊した日本初の民間新聞「海外新聞」を助けた。慶応2年末(1866年)ヒコの長崎移住のため同紙が廃刊すると、海外渡航の機会を窺い、慶応3年(1867年)パリ万博に参列する徳川昭武一行に従ってヨーロッパに渡る。維新後は外務省に勤務し、明治3年8月オーストリア駐在の代理公使としてヨーロッパに派遣。プロシアフランクフルトなどを経てオーストリアのウィーンに赴任し、同公使館書記官などを務めて西園寺公望ら歴代公使を補佐した。18年に帰国し、無任所弁理公使などを歴任。26年に官を辞し、34年赤十字社の常議員となった。また植村正久洗礼キリスト教徒となり、東京神学校の後援にも力を尽くした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本間清雄」の解説

本間清雄 ほんま-きよお

1843-1923 明治時代の外交官。
天保(てんぽう)14年3月27日生まれ。J.C.ヘボンに語学をまなぶ。元治(げんじ)元年ジョセフ=ヒコによる初の民間新聞「新聞誌」(のち「海外新聞」)の横浜での発刊を岸田吟香とともにたすけた。慶応3年パリ万国博に派遣された徳川昭武に随行。のちウィーン公使館書記官などをつとめた。大正12年死去。81歳。遠江(とおとうみ)(静岡県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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