ヘボン(読み)へぼん(英語表記)James Curtis Hepburn

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘボン」の意味・わかりやすい解説

ヘボン
へぼん
James Curtis Hepburn
(1815―1911)

アメリカの長老派宣教師、医師、日本語・日本文化研究者。3月13日ペンシルベニア州ミルトンに生まれ、医学博士となる。1859年(安政6)来日、横浜に住み、医療・教育活動を展開する。大村益次郎(おおむらますじろう)、高橋是清(たかはしこれきよ)などが当時の弟子。1867年(慶応3)に『和英語林集成』(初版A Japanese and English Dictionary; with an English and Japanese Index、再版からA Japanese-English and English-Japanese Dictionary)を出版する。この第3版(1886)で採用したローマ字方式がヘボン式ローマ字である。またS・R・ブラウンらと聖書を和訳し刊行(新約聖書1880年、旧約聖書1888年)。1889年(明治22)明治学院の初代総理となる。1892年に帰国。1911年9月21日にニュー・ジャージー州イースト・オレンジで没。

古田 啓 2018年8月21日]

『松村明解説『和英語林集成』(講談社学術文庫)』『高谷道男著『ヘボン』新装版(1986・吉川弘文館)』『望月洋子著『ヘボンの生涯と日本語』(1987・新潮選書)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘボン」の意味・わかりやすい解説

ヘボン
Hepburn, James Curtis

[生]1815.3.13. ペンシルバニア,ミルトン
[没]1911.9.21. ニュージャージー,イーストオレンジ
アメリカ長老派の医療宣教師。日本名,平文。プリンストン大学卒業後,ペンシルバニア大学で医学を修めた。 1841~43年宣教師としてシンガポール,アモイで医療と伝道に従事,帰国して 1845~59年ニューヨークで開業。安政6 (1859) 年来日,神奈川成仏寺に住み,のち横浜で開業,神奈川に施療所を設けた。岸田吟香に眼薬「精き水」の処方を与えて発売させた。慶応3 (1867) 年和英辞書『和英語林集成』A Japanese and English Dictionaryを刊行。 1910年までに9版を重ねたこの辞書は,幕末から明治初期にかけての日本語の重要な資料になっている。なお,第3版 (1886) で採用されたローマ字の綴り方は,羅馬字会の『羅馬字にて日本語の書き方』に従ったもので,これを現在ヘボン式綴り方と呼ぶ。また聖書の日本語訳を同志とともに完成。家塾を開いて洋学を教えたが,その女子部は横浜のフェリス女学院,男子部は東京の明治学院となった。明治学院初代総理となったが,1891年井深梶之助に譲り,翌年帰国。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報