ヘボン(読み)へぼん(英語表記)James Curtis Hepburn

デジタル大辞泉 「ヘボン」の意味・読み・例文・類語

ヘボン(James Curtis Hepburn)

[1815~1911]米国の宣教師・医師。日本名、平文。安政6年(1859)来日し、神奈川で医療と伝道に従事するかたわら、和英辞典和英語林集成」を編集、ヘボン式ローマ字を創始。また、新・旧約聖書和訳し刊行。明治25年(1892)帰国。

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精選版 日本国語大辞典 「ヘボン」の意味・読み・例文・類語

ヘボン

  1. ( James Curtis Hepburn ジェームズ=カーチス━ ) アメリカの宣教師、医師。日本名、平文。安政六年(一八五九)来日し、横浜に施療所を開く。日本語を研究し、慶応三年(一八六七)最初の本格的和英辞書「和英語林集成」を出版、明治一九年(一八八六)の第三版(「改正増補和英語林集成」)に使用したローマ字の方式はヘボン式として普及した。聖書の日本語訳にも力を尽くし、明治学院の初代総理となる。明治二五年(一八九二)帰国。(一八一五‐一九一一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘボン」の意味・わかりやすい解説

ヘボン
へぼん
James Curtis Hepburn
(1815―1911)

アメリカの長老派宣教師、医師、日本語・日本文化研究者。3月13日ペンシルベニア州ミルトンに生まれ、医学博士となる。1859年(安政6)来日、横浜に住み、医療・教育活動を展開する。大村益次郎(おおむらますじろう)、高橋是清(たかはしこれきよ)などが当時の弟子。1867年(慶応3)に『和英語林集成』(初版はA Japanese and English Dictionary; with an English and Japanese Index、再版からA Japanese-English and English-Japanese Dictionary)を出版する。この第3版(1886)で採用したローマ字方式がヘボン式ローマ字である。またS・R・ブラウンらと聖書を和訳し刊行(新約聖書1880年、旧約聖書1888年)。1889年(明治22)明治学院の初代総理となる。1892年に帰国。1911年9月21日にニュー・ジャージー州イースト・オレンジで没。

[古田 啓 2018年8月21日]

『松村明解説『和英語林集成』(講談社学術文庫)』『高谷道男著『ヘボン』新装版(1986・吉川弘文館)』『望月洋子著『ヘボンの生涯と日本語』(1987・新潮選書)』

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改訂新版 世界大百科事典 「ヘボン」の意味・わかりやすい解説

ヘボン
James Curtis Hepburn
生没年:1815-1911

アメリカの宣教医。ヘプバーンが通常の英語読み。漢名は平文。ペンシルベニア州出身。プリンストン大学ペンシルベニア大学卒業後医師となる。アジア伝道を志し,一時厦門(アモイ)に働く。1859年北長老派ミッションの派遣で来日し,神奈川,横浜で開業し,誠実な人柄と優秀な治療で好評を受ける。かたわら《和英語林集成》(1867)を刊行,これに用いたローマ字は後にヘボン式ローマ字として普及した。また,中国宣教師マッカーティーD.B.McCarteeの《真理易知》にふりがなを付し,伝道文書として刊行(1867)。彼の施療所は初期の横浜伝道の拠点で,横浜第一長老公会も74年ここに設立された。新約聖書共同訳委員(1874-80),旧約聖書共同訳委員長(1882-87)ともなり,聖書翻訳を完成。夫人が始めたヘボン塾明治学院フェリス女学院の前身的存在であり,彼は明治学院初代総理(1889-91)をつとめた。92年帰国,ニュージャージー州で死去。
横浜バンド
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百科事典マイペディア 「ヘボン」の意味・わかりやすい解説

ヘボン

米国の宣教師,医師。ペンシルベニア大学で眼科を修学。1859年北長老派ミッションの派遣で来日,神奈川,次いで横浜で施療所を開設。岸田吟香に伝授して目薬〈精【き】水(せいきすい)〉を売り出したり,歌舞伎俳優沢村田之助を手術して義足をつくる等名医の評判が高かった。一方,1867年《和英語林集成》を刊行,これに用いられたローマ字はヘボン式ローマ字として普及した。1887年聖書(新約・旧約とも)の翻訳を完成。またヘボン夫人が開いた英学塾(ヘボン塾)は明治学院やフェリス女学院の起源となった。
→関連項目英和辞典フルベッキ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘボン」の意味・わかりやすい解説

ヘボン
Hepburn, James Curtis

[生]1815.3.13. ペンシルバニア,ミルトン
[没]1911.9.21. ニュージャージー,イーストオレンジ
アメリカ長老派の医療宣教師。日本名,平文。プリンストン大学卒業後,ペンシルバニア大学で医学を修めた。 1841~43年宣教師としてシンガポール,アモイで医療と伝道に従事,帰国して 1845~59年ニューヨークで開業。安政6 (1859) 年来日,神奈川成仏寺に住み,のち横浜で開業,神奈川に施療所を設けた。岸田吟香に眼薬「精き水」の処方を与えて発売させた。慶応3 (1867) 年和英辞書『和英語林集成』A Japanese and English Dictionaryを刊行。 1910年までに9版を重ねたこの辞書は,幕末から明治初期にかけての日本語の重要な資料になっている。なお,第3版 (1886) で採用されたローマ字の綴り方は,羅馬字会の『羅馬字にて日本語の書き方』に従ったもので,これを現在ヘボン式綴り方と呼ぶ。また聖書の日本語訳を同志とともに完成。家塾を開いて洋学を教えたが,その女子部は横浜のフェリス女学院,男子部は東京の明治学院となった。明治学院初代総理となったが,1891年井深梶之助に譲り,翌年帰国。

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朝日日本歴史人物事典 「ヘボン」の解説

ヘボン

没年:1911.9.21(1911.9.21)
生年:1815.3.13
幕末明治期のキリスト教宣教師,医師,日本語研究者,聖書翻訳者。ペンシルベニア州ミルトンの生まれ。父の名はサミュエルで,判事,母はアンニ・クレイ。プリンストン大学卒業後,ペンシルベニア大学で医学を学んだ。東洋伝道に志し,1841年,満25歳で夫人クララ・リートを伴ってシンガポール,アモイに赴いた。5年後帰国,ニューヨークで医院を開いたが,1859年,44歳で開国直後の日本に来て,横浜で西洋医術を日本人に施す傍ら,聖書の翻訳をめざして日本語研究に着手,慶応3(1867)年にローマ字表記の『和英語林集成』を出版した。明治13(1880)年,S.R.ブラウンと協力して新約聖書,同21年,フルベッキと協力して旧約聖書の文語体訳を完成した。彼と夫人の教え子に大村益次郎,林董,高橋是清など明治政府のリーダーがいる。33年間の在日中,横浜指路教会や明治学院を発足させるなど,日本におけるプロテスタントの伝道と教育の基礎を築いた。明治25年に帰米,以後ニュージャージー州イーストオレンジに住み,96歳で没した。<参考文献>高谷道男『ドクトル・ヘボン』,望月洋子『ヘボンの生涯と日本語』

(加納孝代)


ヘボン

没年:1906.3.4(1906.3.4)
生年:1818
幕末に来日したアメリカ人宣教師。近代日本キリスト教主義教育の開拓者。ノースカロライナ州生まれ。教師を経験後22歳で宣教医ジェームズ・C.ヘボンと結婚(4男中サムエルのみ成長)。安政6(1859)年から明治25(1892)年まで在日,宣教,教育に貢献。妹イザベラ・A.リート,姪リナ・リートも在日宣教師。文久3(1863)年ヘボン塾(Mrs. Hepburn’s School)を横浜に開設,フェリス女学院,明治学院の基を作る。クララは夫の内助に徹し独身女性宣教師とは一線を画したといわれる。墓所はニュージャージー州ローズデール。<参考文献>高谷道男他『横浜バンド史話』,小檜山ルイ『アメリカ婦人宣教師』

(影山礼子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「ヘボン」の解説

ヘボン
James Curtis Hepburn

1815.3.13~1911.9.21

平文とも。アメリカの宣教師・医師。英語読みはヘプバーン。ペンシルバニア州出身。プリンストン大学・ペンシルバニア大学卒。1859年(安政6)来日し,横浜居留地に施療院を開くかたわら,日本語の研究や聖書の和訳などに力を注ぐ。67年(慶応3)日本初の和英辞書「和英語林集成」を出版,第3版からは羅馬(ローマ)字会提唱のローマ字表記法を採用し,以後ヘボン式表記法とよばれた。89年(明治22)明治学院初代総理に就任。92年帰米。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ヘボン」の解説

ヘボン Hepburn, James Curtis

1815-1911 アメリカの宣教師,医師,語学者。
1815年3月13日生まれ。安政6年(1859)長老派の宣教師として来日,横浜にすみ,診療と英語教育をおこなう。慶応3年日本初の和英辞典「和英語林集成」を出版,この第3版にもちいられたローマ字がヘボン式ローマ字として日本で普及した。明治22年明治学院初代総理,25年帰国。1911年9月21日死去。96歳。ペンシルベニア州出身。ペンシルベニア大卒。

ヘボン Hepburn, Clara Mary

1818-1906 アメリカの宣教師,教育者。
安政6年(1859)長老派教会の宣教医として派遣された夫J.C.ヘボンとともに来日。文久3年横浜に男女共学の英学塾ヘボン塾(のちのフェリス女学院,明治学院)を開設,おおくの俊英をそだてた。明治25年帰国。1906年3月4日死去。88歳。ノースカロライナ州出身。旧姓はリート。

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旺文社日本史事典 三訂版 「ヘボン」の解説

ヘボン
James Curtis Hepburn

1815〜1911
アメリカの宣教師・語学者・医学者
1859年来日。横浜で伝道と医療活動に従事し,ローマ字による日本語の表記法(ヘボン式)を工夫。'67年日本最初の和英辞典『和英語林集成』を完成。また私塾英和学院(現明治学院大学)を開いた。'92年帰国。

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世界大百科事典(旧版)内のヘボンの言及

【岸田吟香】より

…雅号の吟香は,その間の呼名であった銀公をもじったものである。64年(元治1)横浜のアメリカ人医師J.C.ヘボンの医院に寄寓し,《和英語林集成》の編纂(へんさん)に協力,これを完成させた。同年辞書印刷のため上海に渡航。…

【国語国字問題】より

… このようにローマ字で日本語をつづることはすでに16世紀の末,来日したポルトガル人の宣教師たちが行っており,江戸時代の蘭学者も行った。明治初年来日して英和,和英辞典を編集したJ.C.ヘボンの方式が,後にヘボン式の名で呼ばれる。これは英語式なつづり方である。…

【和英語林集成】より

J.C.ヘボン編の和英辞典。1867年(慶応3)刊。…

※「ヘボン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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