幕末の漂流者。播磨(兵庫県)に生まれ,アメリカに帰化してジョセフ・ヒコJoseph Hecoと称し,アメリカ彦蔵ともいわれる。1850年(嘉永3)冬,江戸からの帰途海難にあい,漂流50余日でアメリカ船に救助され渡米,いったんマカオに送られたがペリー艦隊にあえず再び渡米し,アメリカで教育を受け,58年(安政5)アメリカ市民となった。その間ピアースおよびブキャナンの両大統領と会見し,59年アメリカ領事の通訳として来日し,日米通商条約の実施,遣米使節の派遣など外交交渉に活躍した。63年(文久3)長州藩の外国船砲撃(馬関戦争)の際は,職責上ワイオミング号に乗り下関砲撃に参加した。その後職を辞し横浜で商社を開き貿易に従事,英字新聞から訳出して《海外新聞》を発刊した。69年(明治2)大阪造幣局の設立に助力し,伊藤博文,木戸孝允とも交わり,72年大蔵省にはいり渋沢栄一のもとで国立銀行条例の編纂に従事した。著書に《The Narrative of a Japanese》(邦訳《アメリカ彦蔵自伝》)がある。
執筆者:池田 晧
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幕末の漂民、明治にかけての貿易商。播磨国(はりまのくに)(兵庫県)に生まれた船乗りの子。1850年(嘉永3)14歳のとき遠州灘(えんしゅうなだ)で暴風雨にあい漂流50余日、アメリカ船オークランド号に救助されて渡米。教育また洗礼も受け、帰化して名をジョセフ・ヒコと改めた。1859年(安政6)9年ぶりに日本に帰り、華やかな幕末外交界に登場、アメリカ領事館の通訳として活躍、開国後の日本の外交に尽くした。俗にアメリカ彦蔵、播州彦蔵(ばんしゅうひこぞう)ともよばれる。1861年(文久1)ふたたび渡米、翌1862年帰国後は商館を開設、神戸・長崎などで貿易を営んだ。
彼は職を転々としているが、有名なのは1864年(元治1)横浜で岸田吟香(きしだぎんこう)らと日本での民間最初の新聞『海外新聞』を発刊したことである。また大蔵省で国立銀行条例の編集にあたったこともあった。自己の漂流について『漂流記』(1863)を著し、そのほか英文の自伝を刊行した。
[小野信二]
『浜田彦蔵著、中川務他訳『アメリカ彦蔵自伝』2冊(平凡社・東洋文庫)』
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(春名徹)
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1837.8.21~97.12.12
幕末期の漂流者・新聞人。播磨国生れ。幼名は彦太郎。1850年(嘉永3)冬に難破し,アメリカ船に救われ滞米10年。日本人として最初にカトリックの洗礼をうけてジョセフ・ヒコとなり,また市民権をえてアメリカ国籍を取得。59年(安政6)横浜開港時にアメリカ領事館通訳として帰国。64年(元治元)日本語新聞「新聞誌」を刊行。著書に「漂流記」,英文の「自伝」。
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