札幌郡
さつぽろぐん
明治二年(一八六九)八月に設置された石狩国の郡で、「公文録」には「札
」とある。郡域は「津石狩川口ヨリ上サツホロ、下サツホロ、樋平辺」(「郡名之儀ニ付奉申上候条」松浦家文書)とされ、近世のイシカリ場所(イシカリ十三場所)の領域の一部を継承。現在の札幌市・北広島市の全域と江別市の一部にあたる。成立後は石狩国の南西部に位置して北東は石狩郡、東は空知郡・夕張郡、南は胆振国千歳郡・虻田郡、西は虻田郡、後志国余市郡、北西は同国小樽郡と接していた。郡内は石狩川左岸流域と豊平川流域からなり、東部から北部は石狩川・豊平川、および中小河川によって形成された沖積平野地、西部から南部は深い山岳地帯となっている。面積八七・六〇二方里(明治二九年「道庁統計書」)。
明治二年開拓使直轄地となり、開拓使の札幌本府経営地として開拓が進められていく。札幌本府は同年一一月から建設に着手、北部に札幌本庁が設置され、南側には街区が開けていく。札幌本府の周辺には同三、四年に募集した移民を入植させた農村が形成され、同八、九年には琴似村・山鼻村に屯田兵を配置するなど、開拓使の膝下として計画的な経営が行われた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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