明治二年(一八六九)八月に道内に設置された一一ヵ国の一つで、石狩・札幌・夕張・
近世末期にはイシカリ場所(イシカリ十三場所)・アツタ場所・ハママシケ場所の三場所に編成され、イシカリ会所が置かれた石狩川河口のイシカリ(現石狩市)は鮭漁、アツタ場所・ハママシケ場所はニシン漁で賑わった。近藤重蔵はイシカリ地方(石狩川流域)を蝦夷地経営の拠点とすることを提唱し、また近世末期にはのちの札幌郡地域を中心に在住制や御手作場経営による和人の入植もみられた。明治二年、石狩郡は兵部省、樺戸郡・雨竜郡は周防山口藩、夕張郡は土佐高知藩、空知郡は旧仙台藩の要害館主であった伊達英橘邦直(岩出山要害)・伊達勝三郎広高(宮床要害)・亘理元太郎胤元(涌谷要害)の三人の支配となり、札幌・上川・厚田・浜益の四郡は開拓使直轄となった。同三年一月に石狩郡が開拓使に移管となる一方、同年一〇月には浜益郡が東京芝増上寺の支配に転じた。しかし同四年八月に浜益郡のほか樺戸・雨竜・夕張・空知の各郡も開拓使に移管され、全域が開拓使の管下となった(「北海道志」巻一)。札幌郡の札幌村・
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…開拓期初め,石狩川の水運は重要な役割を果たし,札幌の都市建設に当たっても当時の本流から市内に入る運河が掘削されている。1869年(明治2)の国郡設置に当たっては,石狩川の集水域に若干の海岸部を加えて石狩国とし,札幌,石狩,厚田,浜益,夕張,空知,樺戸,雨竜,上川の9郡に区分した。今日この集水域には全道人口の半ば以上が居住し,とくに石狩平野と上川盆地には水田地帯が広がり,道内米産量の70%以上を占め,この川およびその支流の周辺に広がる石狩炭田は産業革命期以来のエネルギー供給に大きな貢献をしてきた。…
…北斜面の石狩川,常呂(ところ)川,南斜面の十勝利別川,空知川の河谷がほぼほかの山地との境となり,西は上川盆地,富良野盆地,南は十勝平野に臨む。石狩中央山地は,主要な山嶺線が東西に走り,石狩岳(1966m)を最高峰とし,その東に音更(おとふけ)山,ユニ石狩岳,三国山が,西に沼ノ原山などが連なり,石狩国と十勝国との境界をなす。古生層の日高層群を主体とするが,音更山,ユニ石狩岳では基盤の花コウ岩の露出がみられ,沼ノ原山などでは安山岩や第三紀層が山体の構成に見られる。…
※「石狩国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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