コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

朴市秦田来津 えちのはたの たくつ

2件 の用語解説(朴市秦田来津の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

朴市秦田来津 えちのはたの-たくつ

?-663 飛鳥(あすか)時代の武人。
古人大兄(ふるひとのおおえの)皇子の謀反にくわわるがゆるされる。斉明天皇7年百済(くだら)(朝鮮)の王子豊璋(ほうしょう)にしたがい,百済再興のため兵5000をひきいて渡海。将軍鬼室福信(きしつ-ふくしん)との対立もあって新羅に攻めこまれる。天智天皇2年8月28日白村江(はくそんこう)の戦いで戦死した。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

朴市秦田来津

没年:天智2.8(663)
生年:生年不詳
7世紀後半の武将。近江愛智郡出身の豪族。大化1(645)年9月古人皇子の謀反に加わったが,事変後罰せられることはなく,中大兄皇子(のちの天智天皇)に登用されて,百済再興のために5000の兵を率いて,そのとき日本にきていた百済王子豊璋(余豊璋)の帰国に従って百済に渡った。まもなく王位に就いた豊璋は,都を州柔(錦江下流域)から避城(全羅北道金堤か)に遷すことを議した。田来津は要害の地州柔からの遷都に反対したが,いれられず遷都は実現した。はたして遷都後まもなく新羅に攻めこまれ,再び州柔が都となった。天智2(663)年8月,白村江における唐水軍との戦闘に参加したが奮戦むなしく大敗し,戦死をとげた。

(狩野久)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

朴市秦田来津の関連キーワード近江毛野漢人夜菩安宝依知秦浄男乎〓(“獣へん”に「隻」)居紀押勝吉備海部羽嶋道君物部八坂吉身三田次

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone