岡集落東方の山腹に位置する。正式には東光山
とあり、「七大寺年表」にもほぼ同文を載せる。護国寺本「諸寺縁起集」に収める龍門寺縁起には天禄元年(九七〇)八月の太政官符を引くが、そのなかで別当晋祥の解状を引いて「件両寺、故義淵僧正、奉為国家隆泰藤氏栄昌、所建立也」とある。これらの記事を総合すると、七世紀末から八世紀前半に僧義淵が国家隆泰・藤原氏栄昌のため、草壁皇子の宮地を寺としたのに始まると考えられる。奈良中期には、東大寺写経所と関係をもち、また天平宝字六年(七六二)四月には封五〇戸を施入されている(続日本紀)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
奈良県高市郡明日香村にある真言宗豊山派の寺。もと竜蓋寺ともいい,義淵僧正が草壁皇子の岡宮(岡本宮)を天智天皇より授けられて寺としたと伝えられる。岡寺の名は,前身の宮の名あるいは丘陵地にあった立地によったものらしく,俗称といいうる。奈良時代には多くの仏典を所蔵していた。762年(天平宝字6)に寺封50戸が寄せられ,道鏡も丈六の塑像如意輪観音座像を造立し,現に西国三十三所の一つとして信仰を集めている。吉野郡にあった竜門寺と共に興福寺別当の兼帯の重要寺院とされてきたが,1283年(弘安6)ころに炎上,1472年(文明4)の大風で三重塔が倒壊し,興福寺一乗院により再建が企てられたが完成に至らなかった。江戸時代には25歳の厄除け観音として有名であった。本尊如意輪観音像は日本最大の塑像で,ほかに木心乾漆の義淵僧正像,銅造如意輪観音半跏像,木造仏涅槃(ねはん)像,天人文磚(せん)などを所蔵している。
執筆者:堀池 春峰
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村にある真言宗豊山(ぶざん)派に属する寺。東光山竜蓋寺(りゅうがいじ)と号する。663年(天智天皇2)岡本宮を改めて寺とし、天皇より義淵(ぎえん)僧正が賜った。通称岡寺の名で親しまれている。竜蓋寺の由来は、境内にある小池に義淵が悪竜を法力によって封じ、大石で蓋(ふた)をしたという故事によったもので、義淵開基の五竜寺の一つとされている。当時は法相(ほっそう)宗であったが、久しく荒廃が続き、江戸時代に再興されて現派に属した。本尊如意輪観音坐像(にょいりんかんのんざぞう)(国の重要文化財)は、西国三十三所観音霊場第7番札所として参詣(さんけい)者の信仰を集めている。
[眞柴弘宗]
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※「岡寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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