日本歴史地名大系 「杉生村」の解説 杉生村すぎおむら 兵庫県:川辺郡猪名川町杉生村[現在地名]猪名川町杉生川辺郡の北端、猪名川最上流に位置する。北西は丹波国多紀(たき)郡後川(しつかわ)村(現篠山市)、西は柏原(かしはら)村。慶長国絵図に「杉生村」とみえ、高一五五石余。元和三年(一六一七)の摂津一国御改帳では六瀬(むつせ)一〇ヵ村のうちとして「杉皇」とある。正保郷帳では杉生村とあり、「スキウ」と記される。延宝七年(一六七九)の検地帳(杉生自治会文書)では高一九九石とあるが、天和三年(一六八三)頃の摂津国御料私領村高帳では高一五五石余と別に新田二一石余が記される。 杉生村すぎおむら 大阪府:高槻市杉生村[現在地名]高槻市杉生田能(たのう)村の北にあり、北から西は古世(こせ)村地・上矢田(かみやだ)村地(現京都府亀岡市)ほか。安威(あい)川上流の一支流年谷(としたに)川最上流に位置する。南村境に黒柄(くろから)岳がある。東西に走る道(現主要地方道枚方―亀岡線)は、西国三十三所観音霊場二〇番札所の山城国乙訓(おとくに)郡善峰(よしみね)寺(現京都市西京区)、同二二番摂津国島下(しましも)郡総持(そうじ)寺(現茨木市)、同二一番桑田(くわた)郡穴太(あなお)寺(現亀岡市)などを結ぶ遍路道といわれ、西は矢田・亀山(かめやま)(現同上)に至り、南東で田能を経て高槻に至る。明治初年の地名便覧のうちには「すぎふ」と訓じているものがある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報