共同通信ニュース用語解説 「風流踊」の解説
風流踊
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趣向をこらした扮装の者たちが,集団で笛・太鼓・鉦(かね)・鼓などの伴奏にあわせて踊る踊り。歌は室町時代後期から近世初期にかけて流行した小歌を,数首組歌にして歌う場合が多い。現在風流踊は民俗芸能として,太鼓踊,カンコ踊,神踊(かみおどり),ざんざか踊,雨乞踊,花踊,花笠踊,いさみ踊,聖霊踊(しようりようおどり)などの名で残っているが,その分布は東京都以西である。
室町時代初期,〈囃子物(はやしもの)〉として京都近郊で演じはじめられていた風流の芸態は,作り物や囃子物(囃し物)が主で,踊りといえるものは盂蘭盆会(うらぼんえ)の念仏踊(踊念仏)ぐらいであった。その後応仁の乱(1467-77)で荒廃した京都を避けて,奈良で発展をみた盆の風流には,大がかりな作り物や囃子物に加えて,そろいの衣装や被り物で身を飾った踊り衆の姿が登場する。《経覚私要鈔》には,初めは〈ヲドリ念仏〉として出るが,文明1年(1469)7月17日条には,〈駒舞〉〈神輿振り〉などの風流の趣向にまじえて,紙で作った桶を頭にいただいた者20人ほどが踊ったとある。
16世紀に入るころには奈良の盆の風流は踊りが中心になり,踊り堂を建てた記事も見える。春日若宮社の神主,中臣祐維(なかとみすけつな)の日記《春日社司祐維記》大永1年(1521)7月20日条には,高畠郷の住民が若宮の神主館(かんぬしやかた)に風流を掛けたことを記すが,そのときのようすは傘鉾(かさぼこ)3本を中心に,小袖を腰巻とした踊り衆40人ばかりが〈薩摩踊〉〈西行桜〉などを踊ったとある。ほかにも〈新発意(しんぼち)太鼓〉〈五位鷺〉の風流もあった。以後京都でも貴族や武家,町衆,近郊農民の若衆が中心となって,互いに趣向を競った踊りを掛けあうようすは当時の日記である《言継(ときつぐ)卿記》《兼見(かねみ)卿記》などに詳しい。16世紀がその最盛期で,やがて地方にも伝播(でんぱ)し,《上井覚兼(うわいかくけん)日記》には鹿児島や宮崎で若者が踊る姿が記録されている。江戸時代に入ると風流踊の生命でもある人の目を驚かす趣向が薄らぐが,1604年(慶長9)8月に,京の町組が豊臣家から経費を保証されて演じた秀吉七回忌の風流踊は,歴史に残る大がかりなもので,そのようすは《豊国神社祭礼屛風》に描かれて残る。
囃子物の伝統を引く風流の大傘や,思い思いの仮装の者,棒振り,笛・太鼓・鼓・鉦などの囃し手が〈中踊り〉として踊り衆の中に入り,それを取り巻いてそろいの衣装,被り物,持ち物を身につけた〈側踊(がわおどり)〉が並ぶ。音頭取りである新発意が口上などを述べて踊りを促すと,趣向に沿った踊り歌を音頭が歌う。この歌は風流踊歌と称して,歌謡史のうえでも一つのジャンルを形成した。それは数曲の室町小歌を並べる場合と,放下(ほうか)歌など一種の物語歌を用いる場合とがある。またその歌の頭に格式ばった謡(うたい)の一節を用いることや,囃子詞を多用すること,一首の歌の最後に繰返しの文句を挿入することなどの特色が見られる。
地方に伝播した風流踊は,雨乞いや祭礼の芸能として伝承されたが,多くは中踊りの太鼓打ちが中心となって,側踊を失っている。また趣向が固定した代りに踊り歌を増やして,年ごとに異なる曲を演じる所もある。伝承にあたっては,中世の郷を単位として踊る所も多く,数ヵ所が集まったり,交代で演じたりする所もある。京都市左京区八瀬の〈赦免地踊(しやめんちおどり)〉,同じく久多の〈花笠踊〉,三重県伊賀市山畑の〈かんこ踊〉,滋賀県甲賀市の旧甲賀町油日神社の太鼓踊,兵庫県養父市の旧大屋町大杉の〈ざんざか踊〉,愛知県新城市大海の〈放下〉,山口県周南市の旧熊毛町八代の〈花笠踊〉,広島県山県郡北広島町の旧千代田町本地の〈花笠踊〉,香川県仲多度郡まんのう町の旧仲南町佐文(さぶみ)の〈綾子踊(あやこおどり)〉(国指定重要無形民俗文化財),徳島県三好市の旧西祖谷山村の〈神代踊(じんだいおどり)〉(国指定重要無形民俗文化財),鹿児島県西之表市種子島の〈大踊〉などその数は多く,芸態も多様である。なお,歌舞伎の祖といわれる出雲お国が始めた踊りや,若衆かぶきの踊りも,風流踊を舞台化したものといわれる。
執筆者:山路 興造
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
(2020-2-18)
小歌などの流行歌謡にのせ集団で踊る踊り。15~16世紀に流行した。元来「風流」とよばれる固有の芸能はなく,風流の趣向をこらした諸芸能のうち囃子物(はやしもの)が発展し,15世紀前半からしだいに念仏踊などと融合して原形ができたらしい。若い男性を主とした大勢の人間が,統一された衣装・テーマで着飾り,頭の飾り物や踊りの持ち物もそろえ,同じ振りで踊る。現在西日本各地に残る伝統的な盆踊のルーツともいえる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…舞が選ばれた者や特別な資格を持つ者が少人数で舞うのに対し,踊りはだれでもが参加できるため群をなす場合が多く,場も特殊な舞台を必要としない。近世以前には腰鼓や編木(びんざさら)を奏しつつ躍る田楽躍,鉦(かね)や念仏でおどる踊念仏,小歌を誦する小歌踊,飾りや歌にくふうをこらした風流(ふりゆう)踊などがあり,用いる楽器により太鼓踊,羯鼓(かつこ)踊,銭太鼓踊,採物(とりもの)や被(かぶ)り物の違いにより棒踊,傘踊,笠踊,灯籠踊,綾踊,コキリコ踊,目的の違いにより盆踊,七夕踊,田植踊,雨乞踊,形態によって鹿(しし)踊,七福神踊などさまざまな名称で呼ばれる。なお近世の歌舞伎舞踊は舞と踊りの要素を巧みに融合させた舞台芸能であるが,踊りの要素が濃い部分はとくに踊り地と称し,最後の華やかな多勢の手踊りなどを総踊りともいう。…
…盆の踊りなどで踊り組が互いに踊りを掛けあい競いあう形態。室町末期から近世初期に流行した風流(ふりゆう)踊に特徴的に見られ,当時の記録類には扮装や歌にくふうを凝らし,趣向を競った様子が記される。また風流踊を疫病送りなどに用いる所では,他村との境まで踊りを掛けて順次送り出す形態もあり,伊勢神宮まで踊り継いだ伊勢踊やお蔭踊はその変型といえる。…
…民俗芸能。風流(ふりゆう)踊の一種で,頭に美しい切子(きりこ)灯籠などをかずいて踊る。盂蘭盆会(うらぼんえ)に意匠を凝らした灯籠を掲げ,また贈答することは古くから行われているが,中世後期に盆に風流の踊りが流行すると,その趣向として美しい女衣装を着,頭に灯籠を置いた青年の一団が,小歌にあわせて振りをした。…
…民俗芸能で,風流(ふりゆう)踊の一種。山口県岩国市・長門市,広島県山県郡大朝町新庄などに伝承される。…
…そのほか戦国時代,武将の間でもてはやされたもので,物語につれて舞う幸若舞(こうわかまい),曲舞(くせまい),白拍子(しらびようし)と呼ばれた遊女の白拍子舞があった。 室町時代末期からは民衆の勃興にともない,風流踊(ふりゆうおどり)と呼ぶ集団舞踊が盛んになり,きらびやかな装いで,作り物で頭を飾り,笛や鼓,歌等につれて街頭に出て踊り,民衆のエネルギーを爆発させた。これは舞から踊りへの移行を意味した。…
…これら貴族社会の風流は,しばしば朝廷から禁令が出るほどに華美なものであったが,南北朝期に入ると力をつけてきた町衆や地方の有力農民層にも浸透し,とくに彼らが担い手となった祭礼の芸能の中で大きく花開いた。このため,一般に風流と称した場合,室町時代の社寺の祭礼などに,さまざまな扮装や仮装で笛・太鼓・小鼓・鉦(かね)などに囃されて繰り出した〈囃子物(はやしもの)〉や,それからさらに発展して,趣向をこらした踊り衆がまわりについた〈風流踊〉,また文学や和歌の心を意匠化した風情ある〈作り物〉をいうのである。室町期成立の《下学集》にも,〈風流〉を〈風情の義也。…
…具体的ようすは《言継(ときつぐ)卿記》《証如上人日記》などに詳しい。この時期の踊りは盂蘭盆会以外にも踊られ,一般に風流踊の名で呼ばれる。地方によっては念仏踊色の強い芸態を伝えた地も多く,町の辻などに踊堂をつくる所もあった。…
※「風流踊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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