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杉田伯元 すぎた はくげん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

杉田伯元 すぎた-はくげん

1763-1833 江戸時代後期の蘭方医。
宝暦13年8月7日生まれ。建部(たけべ)清庵の子。天明2年杉田玄白の養子となり,4年若狭(わかさ)(福井県)小浜(おばま)藩医となる。のち玄白の娘扇と結婚,文化4年家督をつぐ。清庵と玄白との往復書簡「和蘭(オランダ)医事問答」を大槻(おおつき)玄沢と編集した。天保(てんぽう)4年5月21日死去。71歳。江戸出身。名は勤,公勤。字(あざな)は士業。号は紫石,牆東(しょうとう)居士。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

杉田伯元
すぎたはくげん
(1763―1833)

江戸中期の蘭方医(らんぽうい)。名は勤また公勤、字(あざな)は士業、号は紫石、牆東居士(しょうとうこじ)とも号した。伯元は通称、のち元伯と改めた。奥州一関(いちのせき)藩医建部清菴(たけべせいあん)の第5子。初め亮策と称した。16歳のとき大槻玄沢(おおつきげんたく)とともに杉田玄白に入門、1782年(天明2)その養嗣子(ようしし)となって若狭(わかさ)小浜(おばま)藩医となる。1789年(寛政1)玄白の娘、扇と結婚。1807年(文化4)奥医となった。その蘭書の収集は著名で、1809年幕府の命を受け、所蔵のオランダ地理書を献じ、賞賜された銀20枚を資として、翌1810年、養父玄白の著『形影夜話(けいえいやわ)』を記念刊行した。玄白は伯元の教育、指導に腐心し、柴野栗山(しばのりつざん)、小石元俊(げんしゅん)にも師事せしめ、家塾の維持を託した。[片桐一男]

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