日本大百科全書(ニッポニカ) 「杉田伯元」の意味・わかりやすい解説
杉田伯元
すぎたはくげん
(1763―1833)
江戸中期の蘭方医(らんぽうい)。名は勤また公勤、字(あざな)は士業、号は紫石、牆東居士(しょうとうこじ)とも号した。伯元は通称、のち元伯と改めた。奥州一関(いちのせき)藩医建部清菴(たけべせいあん)の第5子。初め亮策と称した。16歳のとき大槻玄沢(おおつきげんたく)とともに杉田玄白に入門、1782年(天明2)その養嗣子(ようしし)となって若狭(わかさ)小浜(おばま)藩医となる。1789年(寛政1)玄白の娘、扇と結婚。1807年(文化4)奥医となった。その蘭書の収集は著名で、1809年幕府の命を受け、所蔵のオランダ地理書を献じ、賞賜された銀20枚を資として、翌1810年、養父玄白の著『形影夜話(けいえいやわ)』を記念刊行した。玄白は伯元の教育、指導に腐心し、柴野栗山(しばのりつざん)、小石元俊(げんしゅん)にも師事せしめ、家塾の維持を託した。
[片桐一男]