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李善長 りぜんちょうLi Shan-chang; Li Shanch`ang

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

李善長
りぜんちょう
Li Shan-chang; Li Shanch`ang

[生]?
[没]洪武23(1390)
中国,明朝創業の功臣。安徽省定遠県の人。字は百室。至正 14 (1354) 年洪武帝のもとに投じ,掌書記として重用された。法家に通じていたので,洪武帝を助けて行政,軍事,財政の諸機構を確立して,統一事業の基礎をつくった。明朝成立後は六部を中心とする官僚機構や宮廷制度の整備,律令の制定や功臣の授爵など重要施策にあたった。その功により官は左丞相にいたり,韓国公に封じられたが,洪武 23 (90) 年胡惟庸の獄に連座し,死を賜わった。

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世界大百科事典 第2版の解説

りぜんちょう【李善長 Lǐ Shàn cháng】

1314‐90
中国,明朝開国の元勲の一人。字は百室。安徽省定遠の人。1354年(至正14)朱元璋(洪武帝)の下に投じた。彼は法家に通じ,政略があったので重用され,根拠地南京の経営をはじめ,国家の行政制度,財政機構の整備確立に努力し,統一事業の基礎をつくるのに貢献した。明朝成立後は中書省左丞相となり,韓国公に封じられたが,90年(洪武23)胡惟庸の謀反を暴露しなかったという理由で親族とともに誅殺された。【谷口 規矩雄】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

李善長
りぜんちょう
(1314―1390)

中国、明(みん)朝開国の功臣。定遠(ていえん)(安徽(あんき)省)の人。1354年、朱元璋(しゅげんしょう)(明の太祖)の(ちょしゅう)攻略の際、その幕下に入り書記となった。彼は法家の学に通じ、多くの建策を行って元璋を助けた。根拠地南京(ナンキン)の経営に努力し、行政・財政機構の確立に努め、国家統一の基礎をつくるのに大功があった。国家の元勲として左丞相(さじょうしょう)となり、韓国公に封じられたが、晩年胡惟庸(こいよう)の獄に関係し、自殺を命じられた。[谷口規矩雄]

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世界大百科事典内の李善長の言及

【胡藍の獄】より

…累は劉基らとともに四先生と呼ばれた宋濂にも及んだ。胡惟庸が日本や北元に通謀していたことが明らかになると,90年再び関係者が追及され,その姻戚李善長をはじめ陸仲亨,費聚,黄彬らの建国の功臣が処刑され,すでに死亡していた顧時,楊璟,華雲竜らはその爵を奪われた。藍玉は武功によって涼国公に封じられたが,功を誇っての横暴不法も多く,93年謀反を理由に処刑された。…

※「李善長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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