六部(読み)リクブ

デジタル大辞泉 「六部」の意味・読み・例文・類語

りく‐ぶ【六部】

中国の六つの中央行政官庁吏部戸部礼部兵部刑部工部代に設けられ、末に廃止された。吏部は文官の任免、戸部は財政、礼部は文教、兵部は軍事また武官の任免、刑部は司法、工部は土木関係の行政を担当した。ろくぶ。

ろく‐ぶ【六部】

六十六部」の略。

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精選版 日本国語大辞典 「六部」の意味・読み・例文・類語

ろく‐ぶ【六部】

  1. 〘 名詞 〙
  2. ろくじゅうろくぶ(六十六部)」の略。
    1. [初出の実例]「岩乗であらおもしろの六部やな」(出典:雑俳・長ふくべ(1731))
  3. りくぶ(六部)

りく‐ぶ【六部】

  1. 〘 名詞 〙 中国、隋・唐代以降清代まで中央政府行政事務分担した六つの官署の総称。吏・戸・礼・兵・刑・工の各部。尚書省に属したが、元代には中書省に属し、明・清代には天子に直属、清末に廃止。〔小学紺珠‐職官類・六部〕

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百科事典マイペディア 「六部」の意味・わかりやすい解説

六部【りくぶ】

中国,隋・唐以来,清に至るまで政府の行政実務を分担した官庁で,吏・戸・礼・兵・刑・工部の六つをいう。隋・唐に先立つ魏晋南北朝時代に中央行政執行機関であった尚書省には五曹ないし六曹の分曹があって事務を分担したが,隋・唐に至って尚書省のもとに六部をおいた。唐の則天武后の執政時代(684年―705年)の一時期には部名の変更があったが,則天武后ののちに旧に復してからは変更はなかった。元朝には尚書省にかわって中書省が行政執行機関となったため中書省に属し,明朝では洪武帝が1380年に中書省を廃止することで六部を天子に直属させて宰相(中書省の長官)をおかずに天子独裁を実現,清朝もそれを踏襲したが,明の永楽帝は内閣大学士をおいて事実上の宰相の復活となったから,六部もその指揮下にはいった。吏部は官吏の選任,戸部(こぶ)は財政,礼部は祭儀・教育,兵部は軍事行政,刑部は司法,工部は土木事務を担当し,それぞれ長官を尚書,次官を侍郎という。→三省
→関連項目藩部

六部【ろくぶ】

六十六部の略。書写した《法華経》を1部ずつ,全国66ヵ国の霊地に奉納するために回国する僧。実際に盛んになるのは室町時代からで,近世にとくに流行。近世の六部は覆鉢型の笠(かさ)をかぶり,ねずみもめんの衣をつけ,帯の前に鉦(かね)をたらし,厨子(ずし)を背負うという姿で巡礼した。
→関連項目

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改訂新版 世界大百科事典 「六部」の意味・わかりやすい解説

六部 (りくぶ)
liù bù

中国,唐代から清末まで中央行政を分掌した吏,戸,礼,兵,刑,工の6官庁の総称。吏部は文官の人事,戸部は財政,礼部は祭祀と教育,兵部は軍事と武官の人事,刑部は司法,工部は土木に関する政務をそれぞれ担当した。魏・晋以後,中央行政機関となってきた尚書省は,5曹ないし6曹の分曹をもち,それらの曹名にも変遷があったが,唐代にいたって吏,戸,礼,兵,刑,工の六部とした。《周礼(しゆらい)》の天,地,春,夏,秋,冬の六官に淵源をもつ各部の長官を尚書,次官を侍郎といい,これら六部をおのおの四司に分け,各司に郎中,員外郎,主事などの官を置いた。六部の序列は,吏,戸,礼,兵,刑,工の順とみられやすいが,実は吏,兵,戸,刑,礼,工の順なのである。六部の制は,宋代以後に踏襲され,元代に尚書省が廃止されると中書省に属し,明初に中書省が廃止されると皇帝に直属し,その体制が清末,1906年(光緒32)の官制改革まで続いた。
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六部 (ろくぶ)

朝鮮古代の新羅王畿の地域区分。六村ともいわれ,梁部(楊山村),沙梁部(高墟村),本彼部(珍支部),牟梁部(大樹村),韓祇部(加利村),習比部(高耶村)からなる。新羅王畿は慶州盆地と周辺の五つの谷間からなり,ほぼ現在の慶尚北道慶州市・同月城郡にあたる。王畿内の六部(旧小国)が連合して新羅を建国したので,新羅貴族は主として六部出身で,その住民も地方住民より政治的地位が高かった。各部の構成については部族説などもあるが,農耕生産を中心とする自然村落の連合体とみられる。六部は社会的には平等であったと思われるが,政治的には梁部,沙梁部がもっとも有力で,本彼部,習比部がこれに次いでいた。三国時代の新羅では,地方住民は姓の代りに村名を用い,官位は外官であったが,六部の住民は部名を使用し,京官を与えられた。統一新羅時代には,典京府,六部少監典などを設置し,王朝が六部の住民を保護した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「六部」の意味・わかりやすい解説

六部(仏教)
ろくぶ

六十六部の略で、本来は全国66か所の霊場に一部ずつ納経するために書写された66部の『法華経(ほけきょう)』のことをいったが、のちに、その経を納めて諸国霊場を巡礼する行脚(あんぎゃ)僧のことをさすようになった。別称、回国行者ともいった。わが国独特のもので、その始まりは聖武(しょうむ)天皇(在位724~749)のときとも、最澄(さいちょう)(766―822)、あるいは鎌倉時代の源頼朝(よりとも)、北条時政(ときまさ)のときともいい、さだかではない。おそらく鎌倉末期に始まったもので、室町時代を経て、江戸時代にとくに流行し、僧ばかりでなく俗人もこれを行うようになった。男女とも鼠木綿(ねずみもめん)の着物に同色の手甲(てっこう)、脚絆(きゃはん)、甲掛(こうがけ)、股引(ももひき)をつけ、背に仏像を入れた厨子(ずし)を背負い、鉦(かね)や鈴を鳴らして米銭を請い歩いて諸国を巡礼した。

[藤井教公]


六部(三省六部)
りくぶ

三省六部

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「六部」の意味・わかりやすい解説

六部
りくぶ
Liu-bu; Liu-pu

中国の官制,中央行政機関の六部門をいう。日本の各省に相当。儒教経典『周礼』の天,地,春,夏,秋,冬の六官の系統に擬され,吏 (文官人事) ,戸 (財政) ,礼 (祭祀,外交,学校) ,兵 (軍事) ,刑 (司法刑獄) ,工 (土木営造) 各部の総称。漢から六朝時代を通じ尚書省の担当部局 (各曹) が発展したもので,長官-尚書,次官-侍郎,判官-郎中・員外郎,主典-主事・令史などの構成をもつ。唐初に上記六部の順序が定着,清末に及んだ。古くは三部ずつ尚書都省の左右僕射 (ぼくや) ,左右丞 (じょう) に属したが,明代以後六部が天子に直結するようになった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「六部」の解説

六部(りくぶ)

隋唐以後,行政事務を分担した吏,戸,礼,兵,刑,工の6官庁。魏晋以来政務執行機関となった尚書省は,5曹または6曹に分かれていたが,隋初に吏部,礼部,兵部,都官,度支(たくし),工部の6曹とし,583年都官を刑部,度支を民部と改め,これより六部の名が生まれた。唐はこれをついで,民部を戸部と改めた。吏部は官吏の選任,戸部は財政,礼部は祭祀教育,兵部は軍事,刑部は裁判,工部は土木を扱い,長官を某部尚書という。のち元では中書省が行政機関となってこれに属し,明では中書省を廃して六部を皇帝に直属させ,清もこれを受け継いだ。

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旺文社世界史事典 三訂版 「六部」の解説

六部
りくぶ

隋・唐以後,清末期まで中央行政事務を分担執行した,吏・戸・礼 (らい) ・兵・刑・工の6官署の総称
その源は漢代までさかのぼる。吏部は官吏の選任,戸部は財政,礼部は祭祀・教育,兵部は軍事,刑部は裁判,工部は土木事務を担当。唐代は尚書省に所属し,元では中書省の配下に,明に至って天子(皇帝)の直属となり,中央行政の最高機関として天子の独裁権を確立。清もこれを受けついだ。

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世界大百科事典(旧版)内の六部の言及

【高麗】より

…一方,中央地方の行政機構も整備された。中央には政務を総轄する三省(中書・門下・尚書),実務を担当する六部(吏・兵・戸・刑・礼・工),王命や軍機をつかさどる中枢院などの官庁がおかれた。地方には重要地点に京や都護府,軍事の要衝に鎮をおき,また全国に約500の郡県と多数の部曲,郷,所,津,駅などをおいた。…

【中国】より

…したがって政治体制としては中央集権的官僚体制という常識ではまるで正反対の体制が封建的と呼ばれることになり,ひいてはジャーナリズム用語としても旧時代的,アンシャン・レジーム的なものがすべて封建的と呼ばれるようになっているのである。
[中央政府]
 郡県制下の中国の政府の形態はさまざまに変遷したけれども,唐・宋をへてほぼ明・清において完成した形としては,中央には六部(現代日本風にいえば六つの省)すなわち吏部,戸部,礼部,兵部,刑部,工部がキャビネットを構成し,地方はによって行政を行う。州と県は大差ないので,あわせて県として数えるとその数は明代で1400ほど,現代で2100ほど。…

【六十六部】より

…正しくは日本回国大乗妙典六十六部経聖(ひじり)といい,江戸時代にはおとしめられて六十六部または六部の略称でよばれた回国聖。今も各地にこの回国供養碑を見ることができる。…

【中国】より

…したがって政治体制としては中央集権的官僚体制という常識ではまるで正反対の体制が封建的と呼ばれることになり,ひいてはジャーナリズム用語としても旧時代的,アンシャン・レジーム的なものがすべて封建的と呼ばれるようになっているのである。
[中央政府]
 郡県制下の中国の政府の形態はさまざまに変遷したけれども,唐・宋をへてほぼ明・清において完成した形としては,中央には六部(現代日本風にいえば六つの省)すなわち吏部,戸部,礼部,兵部,刑部,工部がキャビネットを構成し,地方はによって行政を行う。州と県は大差ないので,あわせて県として数えるとその数は明代で1400ほど,現代で2100ほど。…

【啄評】より

…中国の郡県にあたるもので,新羅には六啄評と五二邑勒がある〉とある。この六啄評を新羅王畿(王都周辺の慶州貴族が基盤とする地域)の六村・六部に比定する説,啄と幢(軍隊,軍団)とを音通するものとして,王畿の六停(六つの軍営所在の県)に比定する説との両説がある。六部と六停とは性格の異なるものとみられていたが,両者は同じく畿内の行政区域で,啄評は6世紀以降三国対立の激化によって,軍営設置の単位になるなど,軍政化したものと推測される。…

※「六部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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