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中国,唐代から清末まで中央行政を分掌した吏,戸,礼,兵,刑,工の6官庁の総称。吏部は文官の人事,戸部は財政,礼部は祭祀と教育,兵部は軍事と武官の人事,刑部は司法,工部は土木に関する政務をそれぞれ担当した。魏・晋以後,中央行政機関となってきた尚書省は,5曹ないし6曹の分曹をもち,それらの曹名にも変遷があったが,唐代にいたって吏,戸,礼,兵,刑,工の六部とした。《周礼(しゆらい)》の天,地,春,夏,秋,冬の六官に淵源をもつ各部の長官を尚書,次官を侍郎といい,これら六部をおのおの四司に分け,各司に郎中,員外郎,主事などの官を置いた。六部の序列は,吏,戸,礼,兵,刑,工の順とみられやすいが,実は吏,兵,戸,刑,礼,工の順なのである。六部の制は,宋代以後に踏襲され,元代に尚書省が廃止されると中書省に属し,明初に中書省が廃止されると皇帝に直属し,その体制が清末,1906年(光緒32)の官制改革まで続いた。
執筆者:礪波 護
朝鮮古代の新羅王畿の地域区分。六村ともいわれ,梁部(楊山村),沙梁部(高墟村),本彼部(珍支部),牟梁部(大樹村),韓祇部(加利村),習比部(高耶村)からなる。新羅王畿は慶州盆地と周辺の五つの谷間からなり,ほぼ現在の慶尚北道慶州市・同月城郡にあたる。王畿内の六部(旧小国)が連合して新羅を建国したので,新羅貴族は主として六部出身で,その住民も地方住民より政治的地位が高かった。各部の構成については部族説などもあるが,農耕生産を中心とする自然村落の連合体とみられる。六部は社会的には平等であったと思われるが,政治的には梁部,沙梁部がもっとも有力で,本彼部,習比部がこれに次いでいた。三国時代の新羅では,地方住民は姓の代りに村名を用い,官位は外官であったが,六部の住民は部名を使用し,京官を与えられた。統一新羅時代には,典京府,六部少監典などを設置し,王朝が六部の住民を保護した。
執筆者:井上 秀雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
六十六部の略で、本来は全国66か所の霊場に一部ずつ納経するために書写された66部の『法華経(ほけきょう)』のことをいったが、のちに、その経を納めて諸国霊場を巡礼する行脚(あんぎゃ)僧のことをさすようになった。別称、回国行者ともいった。わが国独特のもので、その始まりは聖武(しょうむ)天皇(在位724~749)のときとも、最澄(さいちょう)(766―822)、あるいは鎌倉時代の源頼朝(よりとも)、北条時政(ときまさ)のときともいい、さだかではない。おそらく鎌倉末期に始まったもので、室町時代を経て、江戸時代にとくに流行し、僧ばかりでなく俗人もこれを行うようになった。男女とも鼠木綿(ねずみもめん)の着物に同色の手甲(てっこう)、脚絆(きゃはん)、甲掛(こうがけ)、股引(ももひき)をつけ、背に仏像を入れた厨子(ずし)を背負い、鉦(かね)や鈴を鳴らして米銭を請い歩いて諸国を巡礼した。
[藤井教公]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
隋唐以後,行政事務を分担した吏,戸,礼,兵,刑,工の6官庁。魏晋以来政務執行機関となった尚書省は,5曹または6曹に分かれていたが,隋初に吏部,礼部,兵部,都官,度支(たくし),工部の6曹とし,583年都官を刑部,度支を民部と改め,これより六部の名が生まれた。唐はこれをついで,民部を戸部と改めた。吏部は官吏の選任,戸部は財政,礼部は祭祀教育,兵部は軍事,刑部は裁判,工部は土木を扱い,長官を某部尚書という。のち元では中書省が行政機関となってこれに属し,明では中書省を廃して六部を皇帝に直属させ,清もこれを受け継いだ。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…一方,中央地方の行政機構も整備された。中央には政務を総轄する三省(中書・門下・尚書),実務を担当する六部(吏・兵・戸・刑・礼・工),王命や軍機をつかさどる中枢院などの官庁がおかれた。地方には重要地点に京や都護府,軍事の要衝に鎮をおき,また全国に約500の郡県と多数の部曲,郷,所,津,駅などをおいた。…
…したがって政治体制としては中央集権的官僚体制という常識ではまるで正反対の体制が封建的と呼ばれることになり,ひいてはジャーナリズム用語としても旧時代的,アンシャン・レジーム的なものがすべて封建的と呼ばれるようになっているのである。
[中央政府]
郡県制下の中国の政府の形態はさまざまに変遷したけれども,唐・宋をへてほぼ明・清において完成した形としては,中央には六部(現代日本風にいえば六つの省)すなわち吏部,戸部,礼部,兵部,刑部,工部がキャビネットを構成し,地方は府・州・県によって行政を行う。州と県は大差ないので,あわせて県として数えるとその数は明代で1400ほど,現代で2100ほど。…
…正しくは日本回国大乗妙典六十六部経聖(ひじり)といい,江戸時代にはおとしめられて六十六部または六部の略称でよばれた回国聖。今も各地にこの回国供養碑を見ることができる。…
…したがって政治体制としては中央集権的官僚体制という常識ではまるで正反対の体制が封建的と呼ばれることになり,ひいてはジャーナリズム用語としても旧時代的,アンシャン・レジーム的なものがすべて封建的と呼ばれるようになっているのである。
[中央政府]
郡県制下の中国の政府の形態はさまざまに変遷したけれども,唐・宋をへてほぼ明・清において完成した形としては,中央には六部(現代日本風にいえば六つの省)すなわち吏部,戸部,礼部,兵部,刑部,工部がキャビネットを構成し,地方は府・州・県によって行政を行う。州と県は大差ないので,あわせて県として数えるとその数は明代で1400ほど,現代で2100ほど。…
…中国の郡県にあたるもので,新羅には六啄評と五二邑勒がある〉とある。この六啄評を新羅王畿(王都周辺の慶州貴族が基盤とする地域)の六村・六部に比定する説,啄と幢(軍隊,軍団)とを音通するものとして,王畿の六停(六つの軍営所在の県)に比定する説との両説がある。六部と六停とは性格の異なるものとみられていたが,両者は同じく畿内の行政区域で,啄評は6世紀以降三国対立の激化によって,軍営設置の単位になるなど,軍政化したものと推測される。…
※「六部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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