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明治時代に国家の最高政策の決定や首相選任にあたった薩長両藩出身の指導的政治家。本来は明治維新ならびにそれ以後の明治国家形成に指導的役割を果たした大久保利通,木戸孝允,西郷隆盛や三条実美,岩倉具視などの公卿を指したが,元勲が一定の制度的地位をえたのは,1889年黒田清隆が首相を辞任し,あいついで伊藤博文が枢密院議長を辞任するにあたって〈元勲優遇の詔〉が出されてからである。91年山県有朋,98年松方正義がそれぞれ首相を辞任するにあたり同様の優詔をうけた。このほか,井上馨,西郷従道,大山巌が同じ待遇となり,1892年伊藤が政党勢力に対抗するため松方以外の元勲を網羅して組織した第2次内閣が元勲内閣といわれ,日清戦争後には元老の名称が使われ,日英同盟締結や日露開戦など,重要な外交政策の決定や首相選任などの際に元老会議が開かれた。さらに1911年桂太郎,12年西園寺公望が首相辞任にあたり元勲優遇の詔をうけた。
執筆者:宇野 俊一
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明治維新に大きな勲功のあった人をいう。当初西郷隆盛(たかもり)、木戸孝允(たかよし)、大久保利通(としみち)らをさし、彼らの死後は伊藤博文(ひろぶみ)、黒田清隆(きよたか)、山県有朋(やまがたありとも)、井上馨(かおる)、大山巌(いわお)らも呼称された。1892年(明治25)成立の第二次伊藤内閣は、この5人に後藤象二郎(しょうじろう)も加え元勲総出の内閣といわれた。法令上「元勲」の語は1888年4月の枢密院官制の上諭や翌年11月黒田、伊藤に対する「元勲優遇」の詔(みことのり)にみえるが、このころから有力な元勲は「元老」として機能し始めた。
[阿部恒久]
『春畝公追頌会編・刊『伊藤博文伝 中巻』(1940)』
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