村屋坐弥富都比売神社
むらやにいますみふつひめじんじや
[現在地名]田原本町大字蔵堂
初瀬川西岸、奈良県田原本町蔵堂に鎮座。祭神は三穂津姫命・大物主命。弥富都比売は大物主神の妃神で大神神社(現奈良県桜井市)の別宮ともいう(大三輪神三社鎮座次第)。社蔵の寛永一五年(一六三八)の梵鐘には「森屋大明神」とあり、天王ともいう(大和志)。旧郷社。「日本書紀」天武天皇元年七月二三日条に壬申の乱に関して、「又村屋神、祝に着りて曰はく、「今吾が社の中道より、軍衆至らむ。故、社の中道を塞ふべし」といふ。故、未だ幾日を経ずして、廬井造鯨が軍、中道より至る」と記す村屋神にあたる。書紀の記載どおり中ツ道が境内を南北に走っていたと推察される。村屋神は前記神託の功により位階を進められ(日本書紀)、天平二年(七三〇)の大倭国正税帳(正倉院文書)によると、神戸の租稲五四束二把のうち、実に五四束が祭神料(四束)・神嘗酒料(五〇束)に充てられていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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