デジタル大辞泉
「村山左近」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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むらやま‐さこん【村山左近】
- 江戸前期の歌舞伎役者。女形の始祖。別称村山左近太夫。泉州堺の人。京都芝居の祖といわれる村山又八の五男ともいわれる。寛永(一六二四‐四四)末ごろ江戸村山座(後の市村座)で女装の一人舞を演じて評判になる。生没年未詳。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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村山左近 むらやま-さこん
?-? 江戸時代前期の歌舞伎役者。
京芝居の祖といわれる村山又八の5男。兄の初代村山又三郎がつくった江戸村山座で,寛永19年(1642)女装の所作舞を演じた。これが江戸における女方のはじめといわれる。右近源左衛門とともに,初期の代表的女方。和泉(いずみ)(大阪府)出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の村山左近の言及
【女歌舞伎】より
…[お国歌舞伎]との第一の違いは,当時最新の楽器である三味線をスターが弾いていることで,50~60人もの遊女を舞台へ登場させ,虎や豹の毛皮を使うなど,いっそう豪奢な舞台ぶりに,数万人もの見物を集めたという。佐渡嶋,又市,道喜(とうき)などの遊女歌舞伎の座,また,幾島丹後守,村山左近などのスターが知られていた。1615‐29年(元和1‐寛永6)ごろが最盛期であった。…
【若衆歌舞伎】より
…年代,場所,座名ともに疑問があるが,ほぼこのころ,若衆歌舞伎の座が江戸でも興行していたことは推測される(おそらくは猿若彦作座であろう)。若衆の中からしだいに女役を得意とする役者があらわれ,村山左近,右近源左衛門の名が女方の祖として伝えられている。寛永末年ごろには,禰宜町で村山左近の歌舞伎が評判をとっていた。…
※「村山左近」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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