…お国歌舞伎との第一の違いは,当時最新の楽器である三味線をスターが弾いていることで,50~60人もの遊女を舞台へ登場させ,虎や豹の毛皮を使うなど,いっそう豪奢な舞台ぶりに,数万人もの見物を集めたという。佐渡嶋,又市,道喜(とうき)などの遊女歌舞伎の座,また,幾島丹後守,村山左近などのスターが知られていた。1615‐29年(元和1‐寛永6)ごろが最盛期であった。…
…年代,場所,座名ともに疑問があるが,ほぼこのころ,若衆歌舞伎の座が江戸でも興行していたことは推測される(おそらくは猿若彦作座であろう)。若衆の中からしだいに女役を得意とする役者があらわれ,村山左近,右近源左衛門の名が女方の祖として伝えられている。寛永末年ごろには,禰宜町で村山左近の歌舞伎が評判をとっていた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」